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母国を出て生きてきたという事、そしてこれからここで出来る恩返し

インスタグラムの方で仕事上お伝えするしかなくお知らせしてしまいましたが、(ご心配をかけてしまって申し訳ないです。)
夫の体調不良はただの風邪なんかじゃなく、「デング出血熱」という、デング熱の重篤化した状態になってしまって、今だから言えますが、本当に死んじゃうかと思う日々が続いてました。

外国に夫婦2人で暮らすって事、それ以外にも自分達の安易さへの反省も含めて、今後海外、デングウィルス流行地帯へ行かれる方の注意喚起、そして発症してしまった方への回復までの夫のケースを何かの参考になればと思い、今日は長きに渡る、発症時から退院までの記録を書き綴りたいと思います。(私も沢山の経験者さんのブログ等読み漁ったので)

発症時の5月12日は、私は仕事で1人出張に出てました。
Day 2.   5月13(木)日午後、自宅から1時間程の空港まで夫が迎えに来た時、珍しく車の中に、ゲータレードというペットボトル入りのスポーツ飲料が転がっていて、私達はゴミを出さない暮らしの中で、ペットボトル入りの飲み物はもう何年も買ってないので、どうしたの?と聞くと、昨日から調子が悪いんだと言い、正直なんで迎えに来たんだろうって程、意識がちゃんとしてなく不安な運転でなんとか家に戻り、そのままベッドでバタンと倒れ込むように寝てしまいました。

その時は、私がいない間にこの人は一体どんな生活をしてたんだろうと、散らかったキッチンを片付け、大した事無いだろうと残りの仕事をして眠りました。

Day3. 14日(金)も朝から寝込んだままでした。この時、猛烈に汗をかいていた夫に、「それだけ汗かけばきっと明日には治るよ」と、熱を下げた方が良いと思い、体温を計らずにアスピリンを渡してしまったんです。

後で知ったことですがデング熱の疑いがある場合、アスピリン系の解熱剤は出血を引き起こしやすく、飲んではいけない薬でした。

そしてこの時熱をちゃんと計らせていれば、もう少し早く異常に気がつけたかも知れません。

Day4. 翌日、15日(土)あまりの体調の悪さに普段病院になるべく行きたくない夫が、病院に行きたいと言います。

メキシコでは薬局に小さな診療所が併設されていて、簡単な問診で薬を処方してくれますが、医師免許は持ってるだろうですが特に検査をしてくれるわけじゃないので、熱があって身体がだるいと言ったら抗生物質とイブプロフェンを処方される程度で、あまり私は信頼してないんですが、藁にも縋る気持ちで見てもらいましたが、上記した通りの処方でした。体温計も脇に挟むタイプじゃなく、おでこにピッと当てて一瞬で計るタイプでしたが、35.6度と出てて、夫の身体のあつさからして絶対嘘だと思いながら家に帰りました。

どうしても信じられず、うちの体温計で測ると40.1度!!!そんなーーーってそこで焦りを感じてきて、もらった抗生物質を飲ませる前に何用の抗生物質か確認したところ、気管支炎の抗生物質で、夫は喉も痛く無いし咳も出てない。絶対これ意味ないわとおもい、家にあったパラセタモール(解熱剤)を飲ませてとにかく寝ててもらいました。

夜中じゅう唸り声が家中に響き、私も一睡もせず様子を見てましたが、あまりの異様な様子に不安になり、近所に住む友人に、朝一で病院車で連れてって欲しいと連絡しました。

Day5.   16日(日)私達の町では1番大きい国立病院へ。ここへは私も3ヶ月前に入院させてもらってるので、絶対助けてくれると思って行ったのですが、あまりの高熱のため、コロナの陰性証明が無いと見れないと言われて他の病院の住所を渡されました。

その時点でもうふらふらでしたが他の病院へ行き、問診が始まり、熱や血圧を一通り測った後、渡されたパラセタモール。熱以外異常が無いからこれ飲んで寝ててと言われ、
コロナの検査はしないのと聞くと、検査キットが終わってて出来ないと言われて、もうなんだか夫が辛そう過ぎて泣きそうでした。

コロナの陰性証明さえあれば大きい病院で診てもらえると思い、検査できる場所を探したけれど、生憎の日曜日。泣く泣く家に帰りました。

Day6.  17日月曜日、もう夫は動くことも出来ずに一日中唸りながら過ごしていましたが、私はまだその時何が起きているのかさっぱりわからない状態でしたが、不安で友人に相談したところ、知り合いのドクターに検査を勧められて、次の日、

Day7.  18日、ラボまでまた友人の車で連れて行ってもらいました。
そしてその日の結果で、腸チフスの結果が出ました。

その時は病気が分かってずいぶんホッとしましたが、腸チフスは完治に3週間はかかると聞き、今月末引っ越しなのにどうしようと思いながら、腸チフス用の抗生物質を飲み始めました。

48時間位で少し楽になるよと言われていましたが、一向に様子の変わらない2日間。

Day9. 20日(木曜日)様子を見に来てくれた友人がことの異常さに、救急搬送してくれ、救急病院のemergencyルームへ。
尿検査、血液検査をして点滴を打ってもらいながら診断を待つも、医者達は首を傾げたまま。解熱剤を立て続けに投与し、なんとか眠らされ、一般病棟に移動されそのまま入院しました。私には椅子を一つ与えてもらえ、そこで24時間付き添いをする様に言われました。どこでどうやって寝ろと言うんだろうと思いましたが、あまりの緊急事態にアドレナリンが出てそこから丸3日寝なかったです。

Day10. 21日(金曜日) 朝、朝6時ごろ医者達が病室に慌てて入ってきて、今から血液を採取するので、その血液をこの住所の研究所に持っていって下さいと言われました。
そこで初めてデングの疑いがあると知らされました。
病院のラボでは出来ないけれど、早急に知る必要があるので、とにかく出来るだけ急いで!!!と血の入った容器を渡され、そこから猛烈にダッシュ。
病院の外でタクシーを一瞬で拾い、「急いでこの住所に!!急いで!!」と叫ぶと、今思えば本当ドラマチックに次から次へと前に走る車を追い抜き、見事な運転で急いでくれ、研究所に到着し、そこでもとにかく急いで!!!と血を渡しました。

だけどめっちゃ走ってきたわりに結果は4時間前後かかり、分かり次第ドクターに直接知らせると言われ、夫が死にそうになってるのに4時間も待てないよと思いながら、
夫はその時結構な重篤な容態だったので、血を渡したらすぐ帰ってくるように言われていたので、帰りも同じように急ぎで帰りながら、タクシーの中でわんわん泣いた。腸チフスじゃないの!?どうなってるの!?と。

病室に戻ると夫は息も絶え絶えに原因究明のため、問診を受けていました。

家族構成、動物のこと、最近街からいつ出たか、友人に同じ症状はいないか、習慣や生活の全てを洗いざらい聞かれて、いろんな先生が入れ替わりの何度もやってきては首を傾げたまま出て行く。

そこへ、検査結果が届き、デングウィルスの陽性反応が確実に分かりました。

私達が普段住む街にはデングウィルスを媒介する蚊は居ません。
ですが、私達が買った土地は標高が下がるため、蚊も多く、デングのケースがあったようです。
私は虫刺されが嫌なので手作りなので効果は薄いかも知れませんが、何度も夫にも虫除けするように言ってましたが、デングの可能性がある地域とは知らず、そこまで無理強いはしておらず、行くたびに何度も蚊に刺されていたんです。

なので感染場所は新しい土地が濃厚。

そしてデングウィルスには薬がありません。
基本的に対処療法のみで、「あなたのご主人はデング出血熱という危険な状態である」と告げられました。

お腹は腹水でパンパンな上、腎機能、肝機能の心配があり、血小板がとても少ないので一度血が出たら止まらなくなるので歯磨きも禁止、絶対安静にと告げらたのでした。

顔色は見たことない色、もう言葉も発せられない夫を目の前に、どうしても現状が飲み込めず、ただのって言ったらそれもおかしいけど、腸チフスだと思ってたから、薬ですぐ治ると思ってたんです。
でも時間を追うごとに肝機能、腎機能の心配が出てきて、腎臓には沢山の痼があることもわかって、このままじゃ死んじゃう!と思い始めました。

救急で駆け込んだ病院は田舎の小さな国立病院。専門医も居なければ、検査設備も無い。一体どんな判断をしたらいいのか。

Day11.    22日 メキシコで知り合ったメキシコに駐在していた日本人ご夫婦のお友達ならもしかしたらいい病院や方法があるか知らないか、すでに日本に帰国してしまっているけれど、私達よりかは病院などの情報網も確実に広いので心配かけて申し訳ないと思いながら連絡しました。

この時はなんとしてでも日本に連れて帰る選択も考えてましたが、このご夫婦が日本人医師と連絡をとってくれ、車で1時間くらいの病院を紹介の紹介の紹介って形でなんとか紹介してくれました。が、

転院の話を進めようとずっと病院の外で付き添ってくれていた友人が、あゆみちゃん達保険入ってないよね??とすかさず気がつかせてくれて、紹介された仲介の方に保険に入ってないと伝えると、「えーーー保険入ってないんですかー??」だめですよそれはーーーと、言われて、もう泣くしか無かった。

因みに日本も同じでしょうが保険無しの全額負担は私立の病院のクオリティにもよるけれど、良い所を求めたらそれはもちろん高額になる。
私達ももちろん貯金はあるけれど、上が見えない治療費、入院費に怯んでしまった。

ただあきお君は苦しんでいて、何度も何度も何度も私立に転院する事を考えたけど、今いる病院の先生も、明日になったら専門医を呼ぶからと言ってくれて、その日は一晩また苦しんで眠れないあきお君に付き添い完徹。
もう気がつけば3日位寝てないのにこういう時はアドレナリンが出て寝なくても大丈夫なんだなって思いました。

Day12.   翌日専門医登場と、病院と話し合って通訳が出来る友人を病院の中に入れてもらう。

私1人じゃ判断ミスや理解を間違うといけないので、医師との話に付き添ってもらいました。
今あきお君は分岐点にいる事、そして緊急の転院などは動かす方がリスクがあること、デング出血熱は経過を見て対処療法しなくてはいけないってことを伝えられ、とにかく今のまま様子を見ていくことに。

Day 13;14.     血小板が下がり続け、通常の半分以下に。
少し詳しい人ならわかるかもしれないけれど、血小板の数値が70,000まで下がる。
今出血したら血が止まらず危険だから安静にと告げられる。
いまだに毎日熱が38度を超え、39度近くまでいく。

26日デング出血熱だけの症状ではなくサルモネラ菌の反応が出てるので、タイミングを見て抗生物質の投与を始めるという。
ただ今はデング出血熱の症状が強いのでもう少し待ちましょうと。

デング出血熱は通常1週間もあれば治るはずだがこの時点で既に2週間発熱が続いていて、医師も首を傾げていた。
この日は小さな病院なので、外部の検査機関に救急車で運ばれて検査を受けました。

検査結果は悪くないようで、その夜、熱は相変わらずあるものの、夫も気分が良くなってきたと初めて言いました。

少し先が見えてきて私は久しぶりに爆睡。
この頃やっと私に、こんなベットになる椅子を看護師さんが持ってきてくれました。隣の部屋の男の子が退院して付き添いのお母さんが使ってたこの椅子が空いたようです。

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それまで椅子で何日も寝てて、エコノミー症候群気味な上ほとんど寝れてなかったので、本当に嬉しかったです。
この椅子には、こう書かれてました。

『Este silla fue donada por alguien como tu.』

「この椅子はあなたのような人から寄付されました」

メキシコの国立病院は全てが無料です。何割負担とかも一切なく、私達のような外国人も同じように無料で見てくれます。
私立に行こうか悩んだけれど、結局この国立病院で全て見てもらえ、本当に感謝しかありません。
私達もこの病院に必要な物を寄付して返していく事でこの次に繋げていけたらと思います。


Day15   翌朝の回診で、調子が良いなら一旦退院して様子を見ましょうという話に!!!

急展開の回復に本当にホッとしました。
これからは通院で検査をしていくようです。

ただ両手をあげて喜べないのは発症から15日、入院して8日、 未だ熱は38度を超えます。
本当に怖いウィルスです。


今回の事で沢山の人に迷惑をかけ、心配をかけてしまって、それでも沢山の人に支えられて、助けられて、何度泣き崩れながらも隣で背中を摩ってくれた友人、家族以外中に入れてくれない病院に何度も足を運んで先生に話を聞いて状態を確かめてくれた友人、入院中一度も帰れない私に変わって毎日動物の面倒を見てくれた友人、ご近所さん、差し入れを持ってきてくれた友人、そして一所懸命原因を突き止めてくれた先生方、毎日沢山の看護師さんに入れ替わりお世話になり、沢山の励ましをもらいました。

あきお君の症状はかなり注意深く観察していなければいけなかったので、入れ替わり沢山の病院関係者が様子を見に来てくれました。


今回の事を書いてて、私達は、
夫婦ふたり、血の繋がりのある家族は近くに誰もいないけれど、ここに生きてきた中で、血の繋がりは関係ない家族がこんなにも居てくれて、「異国に2人きり」なんて状態では全然ないって事に感謝と、ここで5年生きてきた実感が湧きました。

その上日本に住む友人や家族もみんな夫の回復を祈ってくれていて、感謝しかありません。

保険に入ってなかった事を後悔もしましたが、でもこのメキシコという国では、お金が払えないから治療が受けられないなんて一切無くて、メキシコが怖いと思うことはなく、この感謝の気持ちを私達はメキシコに住み続け、恩を返していきたいと思います。

こんなことがあって日本の家族にとっても心配かけてしまって申し訳ないけれど、

メキシコの大きな愛にまた救われ、そしてもっともっとメキシコが好きになりました。

そして最後までご覧下さった方、ありがとうございます。
メキシコ以外もそうですがくれぐれも熱帯地域に行かれる場合は蚊の対策を怠らないよう気をつけて下さい。デングウィルス以外にも日本じゃ知られていない蚊が媒介する感染症って他にも沢山あります。

また近年の温暖化によって、年々、ウィルスを媒介する蚊の生息範囲が広がってきてるそうです。
私達の見えない所でいつも地球は変化している。
より環境の変化に気がつかせてもらった出来事でもあります。
私達は地球のために何が出来るのか、もっともっと考えていきたいです。


この度は本当にご心配をおかけしました!!!



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