社会人1年目の出来事

元々中学校教員になることが夢だった自分は、大学卒業後正社員として塾の先生になったのですが、そこの塾に集まる生徒と上司が特殊すぎて、とてもとても大変でした。後ほど同期にも話したところ、そんな校舎があるの?と驚かれました。そもそも普通なんてないとは思っていたけど、明らかにおかしいと思うことだらけです。今からその一部始終を備忘録として、お話しします。

塾に集まる生徒
→千代田区という場所での塾だったため、生徒はとても恵まれた家庭環境にある子がほとんどでした。社長の子供、裁判官の子供、弁護士の子供、等々経済力がある生徒が多かったです。もちろん全員が全員ではないですが、かなり甘ったれた生徒が多く、保護者の方も受験に合格というのもそうですが、とにかくお金を使って子供を塾に預けておくという方が多かったです。自分の意思で塾に入った訳ではない子が多いので、好き放題遊んだりして授業が崩壊することもよくありました。

・小6S君
受験生の下クラスを持ったのですが、そこには発達に障害を抱える生徒も複数人いました。1人をS君としましょう。Sくんは周りを見て行動することは難しく、ノートを取ることや、授業中にお菓子を食べようとしたりしてしまいました。中々授業に集中できないのですが、そんな時塾長は教科書で頭を叩いたり、大きな声を出して、恐怖で縛りつけて無理やりやらせようとしました。塾長いわく、俺はこの業界長いがああいうやつらは口で言っても耳から耳で通り抜けてしまうから、恐怖で縛るしかないんだ。昔はそう俺も言われてきたけど信じたくなかったけど、それしかないんだ、、と。塾長は暴力を奮っている教育をしょうがないからこうするしかない、と正当化してきました。最初は暴力は絶対に許さないと思ってきた私ですが、他にいい解決案も生み出せなかったので、何も言い出せずただ、見ていました。お母さんもビシバシやってほしい、厳しくとのことで、S君に障害があるとは認めたくなかったようです。だから、平均的な子供たちと同じようにしたいし、それができない本人を厳しく指導して欲しいとのことで、塾長の暴挙が問題視されることはありませんでした。
→見ているということはそういう教育の仕方も自分はしないけどまぁ受け入れるみたいな感じになってしまい、後に暴力をおかしく思わないように思考がなっていってしまいました。人は環境の動物とも言いますが、上司と一緒にいたからこそ、その考え方に自然と染まってしまう、ということを学びました。

小6U君
U君はよく騒いでしまったりする、障害を抱える生徒さんです。授業中や自習中に話しかけたり、場を乱すことがよくありました。そんな時塾長は大声でU!!と叫び外に出させたり、鉛筆を投げつけたり、消しゴムを当てたりして威嚇したりしました。特に印象的なのは、私が授業を開始したはじめ、ポテトチップスをU君は食べていました。きっと授業が始まったことを認識できなかっだのだと思います。私はポテチを食べていることに気づけなかったのですが、塾長がそれを見つけるや否や、扉を勢いよく開けて、その子のポテチを取り、頭にぶっかけて扉をすさまじい勢いで閉めるということがありました。あまりのことにみんなおびえていましたが、あいつは騒いでいるから当然だと思う生徒も多かったように思います。本当に信じられません。

中3JK
女の子2人は受験生だけど、特に塾に勉強したくてきているわけではなく、親に言われて仕方なく来ていました。中1英語を理解することも難しかったため、授業も退屈な時間となってしまっていたのでしょう。しかし、そんな彼女らは、退屈だからと授業中おしゃべりしたり、携帯したり、妨害したりする行為を沢山しました。やめるようにいっても、このクラスに勉強したいやついないよ、と言い返して来て特にその迷惑行動を止めることはありませんでした。そのクラスには男子生徒も複数いたのですが、みんなそれほどやる気があったわけではないので、彼女らが話していてもそれを止めたり、やめて欲しいということはありませんでした。(もちろん言えなかった可能性はありますが)そのことを塾長に相談したところ、俺が責任取るから、髪の毛をひっぱってつまみ出せと言われました。過去に高校生の女の子が言うことを聞かないから、引っ叩いたと言っていました。とにかく恐怖で縛ることで全て解決させようとしました。叱ることができないとダメだからと沢山言われましたが、私は恐怖で抑えるようなことはしたくなかったので、できませんでした。一度大きな声を出して威嚇してしまった時もありましたがやはりその一回は静まりましたがそんな方法をずっとやりたいわけでもなく、効果も次からはなく、やめました。塾長がそういう方だったので、授業について相談することもなくなりました。相談しても無駄なので...

小5K君
小5クラスにも1人暴れたり騒いだりする子がいました。その子も障害を抱えていたとは思うのですが、別に診断されたわけでもないからと見過ごされていました。後ほど彼にどうしてそういうことをするか聞いたところ、学校でちょっかいを出されたり、家では父と母に殴られたり叩かれたりすることがよくあったそうです。そこから暴力を学んでしまったのでしょう。根はいい子だと感じましたが、授業は中々きいてもらえず。私も一回軽くですが教科書で頭を衝動的にポンとしてしまったことがありました。後にこれは暴力だ、塾長と同じになってしまうから、絶対にこんなことはしてはいけないと強く強く心に刻みました。

塾長の不正
塾長は前の塾では売り上げを上げられなければどんなことをしても認められなかったようで、どんな手を使っても売り上げを上げる=生徒数を増やすことに長けていました。暴力的な支配を行ってはいましたが、それが保護者に問題視されることもなく、うまく隠しながらも、ビシバシとやっているのはうちしかないと暴力指導を長所に変えてアピールすることもありました。塾での評価が生徒数から休学・退学半減に変わった時は、どんな手を使っても退塾者を出さないように、やめようとする生徒には、授業料1科目の値段だけ支払えば5教科全ての授業に好きなタイミングで受けていいから、といったことをするようになりました。もちろん自分に親しい保護者の生徒の授業料を安くしたり(個人塾ではなく、グループ会社なのでそんなことをしてはいけない)していました。どんな手を使ってもと言うところにビジネスの妙があると感じました。また、新卒レポートと題して毎日始業後に校舎での課題点を本部や他校舎に共有することがあったのですが、自分が生徒指導がうまくいかないこととかを書いていたら、暴力で抑えてる実態とか、都合の悪いことを自分が書かないように、毎回チェックするからと言われて塾長にとって不都合と思われることは修正されて提出していました。今思えば、不正の煙を隠そうとしていたのだと思います。本当にひどい限りです。

コロナになって
コロナが始まりかけて緊急事態宣言も出て、後者でマスクすることを徹底していた際に、小学生の子どもたちがマスクをしないで来ることがありました。ルールでは家に帰すのですが、塾長はマスクしないでいいからと入室を許可していました。コロナを安易に考え、本部からの指示に逆らっていました。消毒も各授業後にきちんと行うようにと指示が来ていましたがそれにも従いませんでした。入室した生徒に消毒をさせることもしませんでした。

暴力的支配を続け、不正を行い、指示に従わなかった結果、ある時突然副社長が校舎を訪れました。その際に、アルバイトの先生1名とパートの女性1名がマスクをしていませんでした(コロナの指示に従っていなかったので、感覚が麻痺していたのでしょうね)他の校舎では徹底してコロナ対策をしていたので、その光景を異様に思い、副社長は激怒し、すぐに本部に連絡。全校舎メールで校舎名、校長名を晒され、説明要求、地区長も大怒り、後に社内処分として始末書を書いて提出することになりました。塾長は生きてきてこんなのは初めてだ、運が悪かった、と言っていましてが、私にとっては悪いことをしたら必ず自分に返ってくるのだから、当然の報いだと感じました。このように、本当に波瀾万丈な生活でしたが、なんとかいまは楽しく生きています。楽しく働ける会社に、同期と励まし合いながら、次の就職先ではとことん楽しく生き抜いていきます!

※文章の修正をしていないため、読みづらいところがあると思いますがご容赦くだはい。

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