黄金糖
黄金糖。
私が特に好きな菓子のひとつ。最近無性に食べたくなって、近所のスーパーマーケットで探してみた。けれども残念。そこでは見当たらなくて、代わりに「のど黒飴」を買うことにした。どうだったか。そちらも充分においしかった。黒糖の香りに沖縄の空と海を連想することができた。私の心は八重山諸島の中空を羽ばたいた。しかしそれでも、私はのど黒飴を食べることによって、ますます黄金糖を食べたくなったのだ。
それで、やや遠くのスーパーマーケットまで足を運んだ。黄金糖はあるかな? あった! ぶじに発見できて、ウキウキと買いもとめた。袋のなかで黄金色の小粒たちがキラキラと光っていた。
家に帰ってきて、手洗いにうがいを済ませると、私はさっそく黄金糖の袋の封を切った。さっと、ひとつ口にふくんんでみる。小さいのに、華やかな甘さが口のなかにばっと広がる。不思議なことに、口のなかでも黄金色にきらめいていることが意識されてならない。そのくらい美しい菓子だからだ。
あくまで私の事例だけれども、飴というものは、しばらく舐めていると、やおら噛みくだきたくなるものだ。舐めながら硬質な表面から味わう穏やかな甘さと、噛んでジャリジャリになった破片から味わう強烈な甘さ。その両方を楽しみたくて仕方ない。これがホモ・サピエンスということなのだ。
黄金糖を噛みくだこうとする。すると、多くのほかの飴よりも、頑丈なことが口元から伝わってくる。歯がギリギリする。これもまた黄金糖の名にふさわしい特性ではないだろうか。金属感を連想させる黄金糖。思いきって歯に力をこめると、黄金糖はもちろんパッと砕けて、甘さが口のなかでスパークする。ああ、なんておいしいんだろうか。
黄金糖が詰まっている袋を見つめると「ありがとう100周年」と書かれてある。歴史の奥行きを持つ菓子なのだ。「株式会社黄金糖」とも書いている。そういう名前の企業だったのか、と初めて知る。なぜ黄金糖を何年も食べずに生きてきたのか不思議な気がする。忘れられていた私の好物。
黄金糖は外見も華やかだ。ちゃんと黄金色をしているのだから、商品名に偽りはない。もちろん、黄金色をした琥珀にはもっと似ていることは指摘しておく必要がある。子どもの頃、大阪の科学館で小さい羽虫が封じこめられた金色の琥珀の標本をじっと見つめたことがあった。その記憶が私の心を優しく撫でていく。
黄金糖は名前も良い。響きだけなら、「黄金党」みたいだ。江戸川乱歩の推理小説『黄金仮面』や、紙芝居からアニメになった『黄金バット』や、ゆでたまごのマンガ『キン肉マン』に登場する「黄金のマスク」なんかが、私の頭をつぎつぎに頭をよぎっていく。おそらく黄金糖に昭和の雰囲気を嗅ぎとっているからだろう。とはいえ、「ありがとう100周年」なのだから、黄金糖は昭和的なものよりも、もっと歴史が深い。
子どもの頃、同居していた父方の祖母が、私のために黄金糖をよく買ってくれた。私と祖母の関係は、『ドラえもん』で描かれるのび太とおばあちゃんの関係そのものだった。ダメでドジな発達障害児だった私を、祖母が黄金糖をしゃぶらせてくれて、泣きじゃくるのを慰め、甘やかしてくれた。その甘やかさが、黄金糖の内部にいまでも宿っている。
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