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沿革から知る“積徳経営”

創業して満4年が終わった。
ARUTEGAも5期目に入ったが、個人的な沿革から振り返ってこんな記事を書いてる。会社を外から見ればまだまだ『ARUTEGA ≒ 平尾』らしい。
こりゃいかん、世代交代よ、春一番と共に来い。

  • ブログ(arutega.jp)

  • YouTube(NOT4H)

  • Podcast(ForMeFM)

  • Twitter

これまで個人的な発信はたくさんしていると思う。
自分が何をしてきたか、書き終える頃に点と点がつながって今後のヒントにでもなればいいかな。
ほうら、先行きは書き終えた頃の自分に期待。


色々やっては手放して来た。

そう、これは10年分の自己紹介。
負け続けた男の沿革といって差し支えない。


アルテガの名前の由来

元はといえば“ARUTEGA” (アルテガ)というのは2016年頃から書き始めた、コーディングとデザインの小技を備忘録として貯めてきたブログの名前なんです。周囲を天才たちに囲まれ、

『ジャイアントキリングをする手段は、あの手この手がある』

そうずっと信じたあの頃の自分。
“あの手この手がある”がルーツになってる。ブログ執筆当初は、弱小の自分が天才たちを討伐するために考えてたスタンスだったっけ。
それが今ではクライアントの価値の増幅を実現するスタンスに。
語呂もいいから気に入っていて、ハングリー精神だけで駆動していることを言い得ている。


会社創業前夜

事業会社で得たブレークスルー

ARUTEGAを創業する少し前、自分は美容・生活商材を販売する事業会社のI-ne にいました。その時に書いたブログ記事はこちら。(先日またリニューアルしたようです)

2018年8月、プロデューサーとなって自社コーポレートサイトのリブランディングを推し進めて、インハウスのWebデザイン部だけでサイトリニューアルをした。
当時社員は300人規模。デザインブランディングに本気で取り組み、急成長を遂げたタイミングだった。
自分はデザイン部門から越境し、手始めに制作オペレーションの改善を始める。次第に広報や採用の方々と一緒に仕事できたのは、後になって今の活動にとても役に立っている。入社半年で表彰されたりもした。

この時の経験が、自分のキャリアの中で一番ビジネスとデザインの両輪を考え、バランス感覚を育てたと思う。


入社時期の気分は最悪な都落ち

上場直前のイケイケの会社に、昔お世話になった先輩に誘われて入社。
年収アップもさることながら、周りから見れば順風満帆に見える自分だけど、入社当時の心境は最悪だった。

なぜならそこに至るまで、東京の制作会社を数社経験し、LIG Incからブリッジエンジニアとしてフィリピンに渡ったあと日本へ帰国。
Web業界に入ってから、朝から晩まで、あるいは次の日の朝まで、制作だけに没頭し続けた自分にとって、心境は都落ち。“凱旋帰国”の対義語はなんていうんだろう。

『上には上がいるし、コーディングをしながらデザインスキルを磨き続けるのは、自分のポテンシャルを活かせているのか。命削ってるのに数年後にまたリニューアルされたらマジでツライ。』って思ったりもした。

当時はデザインとコーディングの両方を担当するのが割と普通で。
なおさらどちらかのスキルを選んで、刃を研ぎ続けることに端的に疲れてしまった。それで事業会社に入ってみるのもいいかなと。

フィリピンに行く直前、上京のきっかけをくれた大恩人・当時ARCHETYPの代島さんの卒業パーティにて、前職の先輩の田渕さんに、「俺もアワードの審査員になるんで」と啖呵を切ったことをよく覚えている。その半年後にCSSDAの審査員になるが、背中に翼が生えたわけではない。
“何だこんなものか”と、むしろ積んでいるエンジンの違いを自覚したりもした。

疲れた。ただそれでも自分の中に膨大なチャクラが眠っているということだけは信じて疑わなかった。


今につながる価値観

デザインやインタラクションをはじめ、カッティングエッジな表現をWebサイトで表現することが社会から評価につながる、それが自己表現だとも。
そう信じていた自分にとって、事業会社ではパラダイムシフトが起こる。
価値観がまるで変わったのだ。

事業会社にとっての評価は利用者の“声”。
それが一番の評価であり成果。

生活商材を扱っていた会社では、わかりやすく売り上げに直結する。
デザインはユーザーに機能や体験を届けるための名脇役のようなもので主役ではない。主役はプロダクトなわけです。

これは同時にデザインを卑下してるわけじゃない。
プロダクトが0点なら、デザインが100点でも掛けたら0点になる。
“知ってる”と“分かる”というのとはまるで解像度が違うってこと。


デザインの敗北は社内で起こる

デザインを数値化する事は難しい。事業会社内ではマーケティングとバッティングしたときに数値化できないデザインはとても弱く、自分が信じていたデザインがこれほどまでに非デザイナーにとって伝わりにくいものなのだと言うことに直面せざるを得なかった。

あの時、自社コーポレートサイトをつくるのに奔走した。社内にある暗黙知を言語化し、営業やカスタマーサポート、もっと言えば薬事法のチェックをしている担当にでさえ、Webデザインを説明したりして。
説明しなくても印象だけで伝わるようにしたい。


デザインって資産じゃね?

そこで気づいた事は、ウェブサイトが公開されるまでのプロセスそのものが、組織にとって価値があり資産になるということ。
例えば、それまで暗黙知として認識されてはいたが、誰も言葉に置き換えていなかったことなどが、そのまま会社の強みや特徴であることに気づいた。

それらを顕在化させていくプロセスこそが、デザイン資産と捉えることを理解した。自己表現の手段であったデザインは、対話の手段に変わる。
そして自分は表現に変えて伝える属性ではなく、言葉に置き換えて伝えるのが得意な属性なことも知った。ビジュアル表現が好き過ぎて、気付くのが遅れたんだと思う。

今でもデザイン以前のヒアリングやワークショップに時間を長く割くのもそのため。一球入魂のアウトプットのためには泥臭いリサーチと現状把握が必要になる。

戦略は作るのではなく探し当てる

自分はこの頃、デザインを作って納品することに責任を負う制作会社というスタンスではなく、納品後の成果まで責任が取れるデザインコンサルティングスタジオにしたいと強く決める。
弊社は特にコーポレートサイトのリニューアルが多いが、今でもそのスタンスは変わっていない。



一年目に入るまで長かったね、一旦ここでコーヒーでも嗜もう。

さて本題に入ります


一年目:コロナ元年

会社を創業したのは、2020年の2月末、時はコロナ前夜。
I-ne の同僚デザイナーの尾崎さんと創業。
尾崎さんは東京に住んでいて、僕は今も大阪に住んでいる。

このタイミングで会社を立ち上げた事はとてもラッキーだった。時流がオンラインが主戦場に変わったから。

創業前から書き貯めていたブログにてリライトを重ねSEO順位を上げ、自社サイトからの見積もりの獲得をすることで、2人分を食い繋げた。
いずれ独立することは決めていたので、5年くらいブログを泥臭く450記事くらい書き続けていてたのが功を奏した。継続は身を助ける。
無名の会社が勝つ方法は、読者の記憶の一番最初に思い出させること。
それしか勝ち筋はないって知ってた。

前職でのメンバーと一緒に創業した会社だったからこそ、2人の阿吽の呼吸でデザインとコーディングを振り分けることができる。
自分はディレクションしながら、デザイン&コーディングを。尾崎さんはデザインを集中的に制作し、2人の掛け合いで3年目までを順調に続けることができた。


“手応えが無い”という手応え

負けたことがある。
それはコーダーとして一流にはなれなかった。そしてデザイナーとしても、一流になれないとわかったことが原動力になってる。

一度も上手くいったという手応えを得たことがない。
リリースして見返しては納得がいかないし、未だに代表作はない。
手応えが無いという手応えがある。

いろんなスキルセットを詰め込み、何でもそこそこにできるバイプレイヤーになっている反面、何か1つ突出したスキルがあるわけではなかった。

だからこそ今のARUTEGAが、適材適所に才能を振り分けるという根本的な思想になっている事は間違いないと思う。あとは自分が周囲をブーストさせれば良い。

それが自分らしい在り方。最後に台風の目の中心で控えめに笑っていればそれでいい。



2年目:タネを植える

MENTAで人的資産を最大化

コロナ真っ只中。
未経験の人にコーディングを教えるMENTAでたくさんの人に出会い教えてきた。その時に出会った筋の良いエンジニアの卵たちに、実力に見合った仕事を振り分け、限られた予算でも営業利益を確保することができた。今でもその時の縁は続いてとても助けられている、ありがとう。

他業種からWeb業界に足を踏み入れようと、人生を変えるべく本気で制作の勉強をしている人を見るとやはり放ってはおけない。

人生のターニングポイントになるきっかけを自分が少しでも与えることができれば、徳を積めると思った。転職が決まったりしたら、とても感謝されるしうれしい。

『平尾さんのおかげで転職できました!』だなんて言われると、結局は本人の頑張りが大きいのに感謝されてむず痒い。だけどサイトローンチよりも、今後の躍動的な人生そのものをローンチできたことにやりがいを感じた。
結果を出す人に限って他人に感謝し、出さない人に限って他責。このメンタリティこそが誰から見ても魅力的な人になるんだと思うわけで。

不安定な収益基盤

MENTAの売り上げも順調で、制作の仕事が無くても毎月150万が会社の口座に振り込まれる事業基盤ができあがった。だから仕事を選べた。
自分が作らなくてもいいものは極力他の人にパスした。

ただ、このコロナがそうさせたわけであって、この収益は明らかにバブルであって長くは続かない。
コーディングを教えるためのコーディングスクールを立ち上げることをまずは考えた。ストック型の事業基盤のありがたみを知っているから。
ミニマムでスタートしてみたものの、やはり労働集約型になる事は余儀なくされる。
ひっそり立ち上げてみるが、ひっそり撤退。

なにより先生を集めることが、生徒を集めるより難しい。
実務レベルが高い人ほど、どっかで大活躍してる or 教えるの下手という事実。受託の事業基盤を作るためにあれこれ作っては撤退した。


手にいれたスキル

このとき400人以上の悩める人にメンタリングしたことで、一生使えるスキルを手に入れることができたと思う。

  • zoom開始20秒で本気かウソかどうか見極める車輪眼

  • 自信がない人を焚き付けて燃やす

これに気づけたのは大きい。本気かどうかはすぐに見抜ける。


NOT4Hを始める

そんな時期に始めたYouTubeチャンネルのNOT4H
今はコーディング系の中途半端なスクールは全滅したように思えるが、当時は控えめに言って、ウソみたいな情報がTwitterのタイムラインには散見してみられた。

正直、誰か他の人ががやってくれればよかったのに。誰も第一線で活躍している人がYouTubeで発信してなかった。未経験者が振り回されているのが不憫でならなかったんよな。

最前線で活躍している方をゲストに毎回自分から連絡して招いたりもした。
その後、現場で活躍する人が、YouTube始めたり、Twitterに現れたりし始めた時点で、自分のタームは終わったなと思った。“生きた情報”が溢れ出したのだ。NOT4Hも忙しいメンツばかりだったから、今はもう発信してない。
けどズッ友。今はむしろタイムラインから自分が勉強させてもらってモチベーションを得ている。


ヴィーガンカフェ開始と撤収

妻がヴィーガンだったこともあり、ヴィーガンのカフェを始めた。
主に焼き菓子を実店舗で販売し、Shopifyを構築してオンラインでも販売してた。

オンラインでの集客しか知らない自分にとって、オフラインでのビジネスを知ることが大切。やはり、知っているのと分かるのは違う。
前述した通り、納品後の成果に責任を負うためには、自分たちが主役の事業をしないとわからないんよね。
クライアントに『お前やったことないやん』って言われたらぐうの音も出ないよ。やったことないことはできないし、身につかない。だからやる。

Webサイト制作をしていると、作ることが目的となってしまいがちだが、依頼してくるクライアントは売り上げを上げたい or 認知を獲得したいかのいずれかの目的しかないと考えている。

オンラインとオフラインの両方の事業ができる事は会社として大きくメリットになるだろう。そう考えた。
でもヴィーガンで美味しい焼き菓子を作るには、原価が高くなりすぎた。


だいたい毎回バナナフレーバー

食感と味を動物由来のものを使わずに作るとなると、自然にバナナを使うことになる。バナナは小麦粉のツナギにもなり、食感を担保できる。糖分も入っているからバナナは超万能。結果的に多かれ少なかれ、どれも分からない程度にバナナフレーバーである。

小麦の原価は上がるし、保存料使わないから足は早いし、レパートリーも作れない、その上市場も小さい。ニッチなところを攻める戦略だったが、あっけなく1年半くらいで撤収。オフラインの実店舗経営はあっさり負けた。
他にもCBDタブレット、タイ焼き。
いろんなことを始めては早めの撤退。

芽を出せない理由はあとからわかるようになる。
事業にデザインほどの執着と理念がないのだ。



堅調な売り上げと絶望

会社の売り上げはうなぎ登り、過去最大になったんだよな。
この頃にはMENTAのバブルも終わるが、前年ほどではないが受託制作増えたので堅調。

ただ会社の業績はとても良い反面、自分としては絶望していた。こんなに稼働してもここまでしか売り上げはいかないのかと。
そして売り上げを上げれば上げるほど、受託制作の質は落ちていっていることに気づき始めた。これが自分にとってはキツかった。

やはりモノづくりをする側として、最後まで自分たちが納得いくものを作りたいな。

会社員時代に給与面で不満が常にあった自分は、手伝ってくれるフリーランスや社員に対する経済的リターンを重要視していると思う。
必ずしも十分に支払えているとは思わないが、この先会社を潰す理由ができるとすれば、社員に満足のいく給与を支払えなくて、質に妥協したときだと思う。


3年目:本気で遊ぶと仕事になる

奄美大島で遊ぶと仕事になる

奄美大島に遊びに行きだしたのは、この少し前だったかな。
“移動距離の自乗”がクリエイティビティとなる自分にとって、飛行機に乗ることはメディテーションになる。良質なバグを必然的に起こすことができるから。みんなも自分のスケール方法持ってるよね。

むき出しの大自然の中で呼吸をすることは、都会では味わえない贅沢だろう。奄美大島には大阪から3000円で格安LCCで行ける。
片道90minでの贅沢体験。そこいらのマッサージに行くよりいい。
後にこれが奄美大島の拠点の開設につながる。縁あって後に黒糖焼酎れんとのリブランディングをすることになる。

今後は奄美大島の利点をフル活用して、企業研修やワークショプなどを活発に開催していきたいと考えている。この話はまたどこかで改めて。


デザイン表現の壁とアルテガなりのブランディング

品質の壁を感じていた。
そんな折に受けることになった、スタートアップのブランディング案件。
ずっとやりたかった本懐である。

Webサイトのリニューアルが目的だけでなく、ミッション・ビジョン・バリューの言語化から、ロゴデザイン、販促ツールまで。一番やりたいタイプの案件である。だがしかし、最良な布陣で臨むものの、幾度となるデザイン提案は却下され、まったく前に進まず、暗礁に乗り上げる。

この時の経験が、自分たちのブレイクスルーになったことは間違いない。
それと同時に、2人で創る限界を見た。

アプローチのタイプが違う表現に特化したアートディレクター、リードデザイナーの獲得が必要だということを強く感じた。自分の頭の中のクリエイティブを自分が表現できないのでは、会社のナレッジを空回りさせるだけだ。知識だけあっても頭でっかちで面白くないものを作ってはいけない。
人間はロジックではなく、常に感情で意思決定することは、人類がみんな知っている。そうだろ人類。

なかなか骨の折れるクライアントを納得させるためには、何冊もブランディングに関する本を読み漁り、ワークショップの重要性を説いて、クライアントを引っ張ることができるように努力した。

2人で会社を続けることに疲弊し、早く3人目のメンバーを入れないといけないと言う焦りを感じた。ただ、3人目は難しい。この辺りは前にもnoteで紹介しているがデザイナーではなく、まさかのディレクターが入社してくれた。



4年目:表現は排泄

ディレクターの採用、そしてエンジニアの採用は功を奏した。
できることが増えたし、時間の確保ができるようになったこともあるが、自分自身のアップデートに大きく繋がった。

あと人間の成長スピードはすごいね。そりゃあれもこれも任せてしまうんだからそうか。


くだらないことやれる会社がいい

この年の初め、山田和輝公式婚活サイトをリリース。
フリーランスの山田さんを起用して結婚相手を探すこの企画だが、実は山田さんは自分のMENTAの一番弟子であった。

実直な山田さんを、実務レベルのコーディングができるようになったのは、自分の功績なのは多かれ少なかれあると思う。
だけど、うまくいったのは山田さんが本気で婚活に臨んだからでしかない。
そして、このプロジェクトが引き金で採用と大型案件を受注している。

情けは人のためにならずって体感したし、人徳は積み上げていくことができるのだと再認識。
アルテガは経済合理性がないWebサイトや企画を積極的に作ろうと思う。
今年は何を作るかはまだ決めていないけど、アホな企画や真面目に誰かを応援するためだけのサイトを作って遊んでいたい。もちろん技術的にチャレンジしたりもできるし。


表現の場を確保する大切さ

表現することは排泄と似ている。
美味しいものを食べて、ちょっとだけ力む。
口から入れたものと体調次第でアウトプットは変わるし、何よりも毎日しないと具合が悪い。

クリエイターは、その手段が歌うことだったり、踊ることだったり、写真を撮ることだったりする。

じゃあ、仮に写真を撮るのが好きな人がいたとして、理由は様々。

記録として残すのが好きな人
構図を考えるのが好きな人
今に集中できる時間が好きな人
表現するのが好きな人


自分の場合は何をしても“言葉”になっただろう。
映画とか漫画とか小説とか。具体的な前後のストーリーは覚えてなくても、登場人物の放った言葉はしおりを挟んでいつでも読み返せるようにしていたりする。それらが自分の生き方を下支えしているってことはみんなもあると思う。

広義のデザインでいえば、キャッチコピーとか企業理念とかスローガンとか、もしくはデザインをお客さんに伝える時に運ぶ言葉かな。
ここに自分はとても敏感だ。

ブランディング案件で一番大切にしていること

これは5年目の活動にも関わってくる話なんだけど、プロジェクトの成功における絶対に譲れない大切なことが二つある。

  • 自分たちが相手のことをよく理解していること

  • 相手がオーナーシップを持って本気で取り組んでいること

この二つがないと、いくら予算をかけていい布陣を強いてデザインを作ったところで、途中で不協和音を鳴らす。もうこれは絶対。

だから自分たちはデザインを始める前、というか見積もりの前の段階からひたすらヒアリングをする。本音を聞くことができれば、あとは僕が火をつけて燻っている魂を本気にさせて、どんどんリードしていける。

自分は人が本来持つポテンシャルを発揮できていない人を見つけるのが好きだし、ほったらかしにして置けない性分であることが最近わかった。
だから、その気にさせるためにあれこれするし、Webサイト制作のプロセスの中で本能的な問いをガンガン客先にぶつけていく。


スキルより徳を積もう

これはうちの若いのにも伝えてるんだけど、スキルを積むのも重要だが、徳を積もうよ、という話。

ビジネスにおいて信頼を積み重ねるのと似ているのが少し違っていて。
ずっとずっと先になるかもしれないけど、それって絶対自分のもとに帰ってくるんよね。

キャリアをずっと積んでいくと、できることが増える反面、どうしても時間的な制限が増えたり、家庭環境が変わったり、体力が衰えたりして。
僕も毎日18時間くらい働いていた時期があったけど、そんなことは今はもうキツイ。そうなってくると、若い人が自然にスキル面においてベテランを追い抜いていく。それは遅かれ早かれやってくる。


追い抜かれた後に自分の本性がわかる

追い抜かれた後にリードできるかどうか。
自分に存在感があるか否かは、積み上げた“徳”でしかない。徳というのは積もるもので作れない。

自分はガンガン背中を見せて追い抜かれた後にでも大きな存在感を放っていたいので、これは本当に意識している。
スキルや肩書きがなくなった時に、どれだけの人が協力してくれるか。もっと先の将来のことを言うと、どれだけの人が自分の葬式で泣いてくれるかが大切だと考えているし、KGIになってる。

いくら切れ味鋭いスキルを今は持っていたとしても、人間的な魅力につながるかと言えばそうでもない。高いスキルの人と一緒に仕事をしたいのはみんな一緒だけど、大前提、その人と働いていて楽しいかとか、尊敬されるかみたいなところはずっと意識してやっていきたいと思う。
これをこっそり積徳経営と名付けている。


5年目:積徳経営

ハングリー精神みたいなものを燃料にしていた半生だが、なんか今は違う。
負け続けたということはチャレンジし続けたからこそ。
安寧の先に“負け”なんてあるはずがない。

自分たちが納得する、効果的で自由で楽しいサイトをガヤガヤ作りたい。
その上で、客先からの信頼と関係した人からの徳を積めないのであれば、そんな会社潰れればいいし、自分は庭先の金魚と一緒にパクパクしてたいと思う。やりたいことなら山ほどあるし。

今年はもっと精緻な企業理念とデザインを新しく出会う人たちと作りたい。
会社資料を整理し直しているが、進捗は予想通り遅い。
自社のリニューアルって本当に骨が折れるって知ってる。何度も道に迷って堂々巡りするもんね。

そう、今年は自社コーポレートサイトもリニューアルしたい。


ブランディングをもっと本気でやるために学校に行く

ブランディングでしばしばよくやる、企業理念固め。
それはそれは大変で、ただこれがまたデザインをやる上ではとても大切なプロセス。

個人的なトピックスなんだが、青山学院大学でワークショップデザインを学ぶことにした。4月から半年くらい東京に毎週末行ってるので、本当に誰か遊んで。俺はマイチョップスティックたらしめる2本の鋭利なソレを常備しておく。東京のみんな仲良くお肉をツンツンしようね。


勉強会や外での学習機会の創出

ウチは人数が少ない。
だから社内で教育するには限界がある。どこの会社も同じだと思うけど。
だからこそ、他社と勉強会したり、個人的なつながりを作れるように自分は率先して輝いている人たちに会いにいくようにしている。うちの子たちは控えめなので、自分から繋がりをどんどん作って学習機会を作りたい。


会社という公器

自分は大きな袋でしかなくて、その中にどんどん人材を入れていく。そうして袋は形を変えていければいいと思うよ。

自分のやりたいことはいずれ変わる、多動なので。
いずれ変わる自分のやりたいことを本幹にするのではなく、ブチ上げたい人を見つけてその人の特技を会社の事業内容にしていく。自分の役割を全うして、プロジェクトが成功すればいい。

今も昔も、自分が納得がいく美しいものを作りたい。
“お客さんが喜ぶもの”なんてのは、玄関の土間でご挨拶ってくらい手前。

その奥の神棚に座すのは“俺が納得”という前世から受け継ぐカルマ。
このまま妥当にいけば、死んだ時の戒名は『不完全燃焼凡人野郎』になるからみんな自慢できるサイトを作ろうな、全員燃えて一緒に俺と心中してほしい。

あぁ前途多難な5期目がまた始まってしまった。
いっぱいお仕事いただけるように社長5年目がんばるいいものつくる。


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