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星座を見つけるように「つながり」をつなげる

今日は蔵本由紀さん(物理学者)による書籍『新しい自然学 - 非線形科学の可能性』より「多様なものの結合様式」という一節を読みました。一部を引用してみたいと思います。

同一不変性が高度であればあるほどその発見のインパクトも強い。したがって、あまりに個別的なものは科学描写としての意味が薄い。だとすれば、ミクロからマクロへ記述のレベルを引き上げるごとに研究は細分化され、科学描写のインパクトは必然的に弱まることになる。これは避けがたいことなのだろうか。
雑多なもの、複雑多様なものにはじめて出会ったとき、それを理解するためにまず対象の分類から始めるのが人間の常のようである。(中略)分類というものは領域の区分けであり、仕切りを入れることによって混沌とした対象に秩序性を導入しようとするものである。(中略)しかし、このような「しばりの強い」やり方とはいささか異なった、より柔軟性のあるやり方でも秩序性は導入できる。それは対象の構成員どうしに何らかのつながりを見出すことである。
しかし、ここでは構成員全員をどうこうしようという意図はない。つながるものだけがつながばよいのである。区分け方式は系統樹的なつながりに対応しており、整然とした網構造の中に構成員全員がきっちり納まっている。納まりきらないものは「その他」の箱の中に分類される。これに対して「つながり方式」においては、連絡網がこれといった規則性も構造もなく走っているだけである。

「これに対して「つながり方式」においては、連絡網がこれといった規則性も構造もなく走っているだけである。」

この著者の言葉に思わず「そうそう...そうなんです」とうなずきました。

「あれ...これってどこか似ている気がする...つながっている気がする...」

なぜかは分かりませんが、直感的にそう思うことがあります。何かの理論やモノサシをあてはめて比較しているわけではありません。

何かを目にした瞬間。耳にした瞬間。口にした瞬間。香る瞬間。触れた瞬間。その何かに触発されるようにして、過去の体験が思い起こされます。

予期せぬ「つながり」が見出される瞬間には、言葉にできない驚きや感動が含まれています。きれいに分かれていなくとも、筋道が立っていなくとも、整っていなくとも、それはそれで新鮮なのです。

夜空に光る星々に星座を見つけるように。脈絡なく見出されたちょっとした「つながり」が一つ、また一つとつながっていく過程が面白いのです。

一方、「同一不変性が高度であればあるほどその発見のインパクトも強い」という著者の言葉を目にして、「何にでも共通して当てはまる法則がある」あるいは逆に考えて「ある法則が当てはまる対象範囲が広い」ということも惹かれてしまうと感じたのも事実です。

過去の誰か、あるいは自分で見出した法則に「何か」があてはまると、安心するというか、その「何か」を分かったような気になっててしまうのです。

ですが、何でもかんでも最初から「法則」にあてはめてしまうと、無味乾燥というか、新鮮さがないのです。

まずは「ありのまま」を感じてみる。
言葉にするのをこらえて、心が動く瞬間の訪れをじっと待ってみる。

そんなことを思ったのでした。

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