個々の感覚は間違うこともある。だからこそ色々な感覚を結びつけて世界を捉える。
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「触り間違いはあるか?ないか?」を読みました。
昨日は「温度」と「ノイズ」が触覚の感度を高めるという話にふれました。
何かにふれると皮膚の表面にあるイオンチャネルと呼ばれる孔(あな)からイオン(電気を帯びた分子)が入り、電気的なエネルギー状態(電位)が変化します。そのエネルギーの変化が感覚神経を伝わることで「なにかに触れている」という感覚が生まれます。
たとえば、手のひらを温めるなど、皮膚の温度を高めるとイオンチャネルを通じたイオンや神経伝達物質の伝達が活発になり触覚の感度が高まります。
また、微弱な刺激(ノイズ)が存在する環境下では、検知が難しいほど弱い信号でも「たまに」ノイズと共鳴して検知可能な強さとなり、検知が可能になります。この現象を「確率共鳴」と呼ぶのでした。
触覚が変化するメカニズムを知ると「ふれるとは何と奥深いことだろう」と思わすにはいられません。
今回は「見間違い、聞き間違いがあるとしたら、触り間違いはあるのか?」というテーマが展開されています。
「触り間違い」の事例として著者は「ベルベットハンド・イリュージョン」という現象を紹介しています。
テニスラケットのガットを両手で挟んで表面をなぞるとヌルヌルした触感がする。私も実際に経験があります。「ヌルヌル」と文字にすると、なんだか心地悪そうな感じがしますが、どちらかというと「スベスベ」という感覚もあり心地よかった覚えがあります。
このベルベット・イリュージョンと呼ばれる現象がなぜ起こるのか、いまだに仕組みは解明されていないそうです。幻視(見間違い)や幻聴(聞き間違い)に比べると数は少ないそうですが、これまで50種類以上が見つかっているのだとか。
見えているものが正しいとはかぎらない。聞こえているものが正しいとはかぎらない。触れているものが正しいとはかぎらない。
このような感覚のズレの事例を知ると、自分の感覚を通して感じている世界は「ありのままの世界」というわけではないと思う一方、様々な感覚を通して引き出した世界の断片を結びつけて「ありのまま」を描こうとしている。
デジタル技術の発展により視覚・聴覚が優位な世界になりつつあるように思いますが、そのような世界において閉じがちな感覚を解放してゆくことが求められているのだと思います。
たとえば、生演奏を聴く経験は耳で聴くというよりも「音を全身に浴びる」という触覚的な体験を伴うからこそ、そこに「生の実感」が伴っているように感じるように。
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