見出し画像

「割りきれなさを割りきる」ことで世界はなめらかにつながっている。

今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「人差し指と薬指で冷たいコインに触れると中指まで冷たく感じる?」を読みました。

昨日は触り間違いの例として「フィッシュボーン現象」にふれました。髪をすくために使う櫛の歯の上に指を置いて、根本の部分を水平方向(横方向)にはじいてみると指が押されたような感覚になる現象です。

櫛は水平方向にしなっているだけなのに不思議です。皮膚は水平方向の力と垂直方向の力を区別することができないことが現象の正体なのでした。横向きに引っ張られているのに押されたように感じてしまうわけです。

このような触覚の錯覚を応用している例として、Apple社の製品であるApple watchやMacBookに組み込まれている「トラックパッド」という技術があります。トラックパッドは物理的に押し込むことはできませんが、内蔵されている振動子で横向きの振動を加えることで「あたかも指で押し込んでいる(クリックしている)」感覚を生み出しているのです。

本当は押していないけれど、たしかに押している感覚がある。バーチャルもリアルも意識しなければ本当はなめらかにつながっているのだと思ったのでした。

今回は「温度と盲点」というテーマが展開されています。

温度にも錯覚はある?

触覚センサーには大きく2つあります。「細胞の変形を感じとるセンサー」「温度の変化を感じとるセンサー」です。温度の変化に関する触覚とはどのようなものなのでしょうか。著者が実験を紹介してくれました。

 次のような実験をしてみましょう。水にしばらく浸して冷たくしたコイン2つの間に、常温のコインを置き、人差し指と薬指で冷たいコインに、中指で常温のコインに触ってみてください。このとき中指はどう感じるでしょうか。

この実験を試してみたのですが、何ともいえない感覚になりました。冷たくないはずの常温のコインも冷たく感じるのです。

実際にやってみると、多くの人は、中指のコインも冷たく感じると答えます。これは相互温度参照現象(Thermal referral)と呼ばれる温度の錯触覚です。逆にコインを温かい、常温、温かいと置いた場合には、真ん中が温かく感じられます。私たちの指先の温度感覚は、指ごとに温度が違うという状況に対応できないのです。

指先の温度の感覚はそれぞれが独立しているはずなのに、バラバラに感じるのではなくて統合されてしまう。どことなく多数決に近い感じもしますが、もしバラバラに温度を感じたとしたら「心地よくない」からなのではと思いました。

「感覚の正確性」よりも「統合的な感情」を優先する。それはそれで一つの進化の方向性なのかもしれません。

盲点があるのに、世界はなめらかにつながっている。

触覚の話ではありませんが、視覚における盲点についても紹介されています。

 しかし私たちは通常、視野に欠損があることに気づきません。私たちは2つの眼を持っていて、片方の眼の盲点を、もう片方の眼で見ることで補完しているからです。さらに、片方の眼をつぶってひとつの眼だけで見る場合でも、盲点をその周囲の視覚情報によって塗りつぶすことで補完している。そのため、私たちは盲点に気づかないのです。

視野には欠損(盲点)がある。本来は見えないはずなのに、両眼が互い補完しあって「あたかも見えている」ように感じている。あるいは、片方だけの眼でも周囲の情報を活用して盲点を補っている。

知覚している世界は盲点で非連続になっているですが、「推論」することでなめらかに連続しているように見える。「デジタル」と「アナログ」の関係にも通じるのではないかと思います。

テレビやスマートフォン。ディスプレイは非連続な点の集まりですが、普段は「つながっていない」と感じることはありません。

非連続と連続。欠損と補完。デジタルとアナログ。

感覚のことを知ってゆくと、世界の境界は曖昧でグラデーションなんだな、と思うんです。割りきれなさを割りきることで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?