性弱説と反脆さ
今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「虫歯のあるなし」を読みました。
今回、著者はこれまでの総括的に脆さと反脆さについて言及していますので振り返りも兼ねて取り上げます。
システムが複雑になると、つまり、システムを構成する要素間のつながりが複雑になると因果関係が分からなくなる「因果の不透明性」が内在します。
その時「予測ミスによる損失を最小化し、利得を最大化する方法を考える」との著者の言葉は、予測精度にこだわることなく外れることを前提として、システムが維持される(むしろ強化される)ようにしておくことが肝要だということ。
衝撃やストレスを適度に調整し、それらを情報に変えて学びを得て、自らを変えてゆく。そのようなシステムを構築することを目指す必要があるということです。
「世界を変えようと思ってはいけない」との著者の言葉は、「環境に対して素早く適応することに集中せよ」とのメッセージと捉えました。
一方、環境を自ら変えていこうとする態度もまた許容されるのではないか、という気がしています。適応の結果として環境に働きかける力を備えたとしたら、それを駆使して環境を変えることができる。
但し、環境を望ましい形に変えることで、自らが変わる力を失ってしまったとすれば本末転倒ということでしょうか。
「レモネードといえば、レモンからレモネードを作るのが歴史の役目のようだ」との著者の言葉は、失敗や反省を「レモン」にたとえているものです。
失敗が何度続いても、それを素材として何かを作り出していく。次の創作を「レモネード」にたとえています。
「人間の欲望や欠点を利益に変えられる社会が築ければもっといい」という言葉は「人の弱さを強さに変える社会」と読み替えることができるように思います。
性善説、性悪説とありますが、ストレスにさらされると脆くなってしまう、つまり性弱説に立つことから「反脆さ」が生まれていくのではないか、と。そのようなことを思いました。
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