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相手の立場に立つということ〜表層と深層〜

「相手の立場に立つ」

自分と他者の重なりを探ってゆくとき、相手の言葉の表層と裏側を計り知ることが大切であると思いながらも、こと裏側を計り知ることは簡単ではないどころか、完全に計り知ることなどできないほどの奥行きがある。

たとえば芸術作品を鑑賞するとき、その作品を「直観」することが、その奥行きを察することの入り口になるかもしれません。作品に付随する背景的な説明や歴史などを先に入れずに、ただただその作品の「ありのまま」を受け取るということ。

表面から入らずに裏側から入ってゆくこと。

身体を形づくる細胞は、他の細胞とのシグナル伝達において、どの様に表層と裏側を見分けているのだろう。あるいは表層=裏側なのだろうか。

やはりシグナルの「かたち」に深層が隠れているように思えてなりません。

世の中は、持って生れた性格、ーたとえば情熱といった様なものだけで渡るわけにはゆかない事は誰でも知っています。けれども、それだけでも、立派に生きて行く事も、いい物をつくる事も出来ると思います。ようするにそれは分量の問題です。

白洲正子『たしなみについて』

もし生得の情熱がほんとうに強いものなら、人は冷静に素描的な技法を勉強するでしょうし、役者はわき目もふらずに型の練習をはげむでしょう。又多くの、他人の目には無駄な様に見える事もしてみるでしょう。

白洲正子『たしなみについて』

ただ東洋人と西洋人が違うばかりでなく、私達一人一人もまったくの赤の他人なのですから、それぞれ異る立場から物を見ているわけになります。が、私達はよくそうした事を忘れます。忘れても構わないのですが、たまに思い出してみる必要はあると思います。相手の人が、何処に立って、どの位の高さから、物を言っているかという事をすばやく見てとる練習をつむ事は決して無駄にはならないと思います。

白洲正子『たしなみについて』

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