身体感覚を広げる。自分が広がる。
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「周辺視野を指でたどり身体感覚を拡張してみよう」を読みました。
昨日読んだ内容を少し振り返ると「街を自分事にする」という話題でした。街歩きは全身の感覚を伴う体験です。身体を動かしながら、あちこちに意識を向けていきます。道、建物、街ゆく人、街の香りなどなど。歩いた時間と場所がエピソードとして記憶に残ります。
思い返すとき、実際に歩いているわけではないのに、身体がどこかザワザワするというか、街を歩いている瞬間の感覚がよみがえるような、そんな感覚を覚えます。「街が自分事になる」とは、きっとそのような事なのだろうと思います。
著者は触感を書き留めることを勧めていました。街歩きをするときに、その瞬間を写真におさめ、その瞬間の触感を言葉にしてみる。例えば歩いているときの足裏の触感を「ざらざら」「こつこつ」などのオノマトペで表してみると、無意識的だった身体感覚を客観的に意識できるようになるわけです。
さて、今回読んだ範囲では「ペリパーソナル・スペース(身体近接空間)」というキーワードのもと「身体感覚を拡張する」というテーマが展開されていました。
身体感覚を内側の隅々にまで広げていくこと
「身体感覚を拡張する」とはどういう事でしょうか。著者は身体感覚を意識するエクササイズとして「雪払い」を紹介しています。
雪払いとは「前屈」を2回行うものです。一回前屈をしてみます。そのあとにあたかも積もった雪を手で払うように肩を払って、もう一度前屈をしてみる。前屈の深さがどれぐらい変わるかを確かめます。
実際に私もやってみましたが、たしかに前屈が深くなったように思います。肩に意識が向くようになり、肩の力を抜くことができました。おそらく1回目の前屈のときは「深くしよう」と思うがあまり、肩に力が入っていたのだと思います。
肩の力を抜くと上半身がぶらりとして、重みを最大限に活用できるというか、下に伸びていこうとする力を自然に流れていくようになり、結果として前屈が深まったのではないかなと思います。
全身に意識を向けるというのは「言うは易し、行うは難し」だと思う一方、何かのきっかけがあると少しずつ広がっていくのだと気付きました。これが「身体感覚を拡張する」ということなのだなと。
身体感覚を自分の外側に広げていくこと
著者は「ペリパーソナル・スペース」(身体近接空間)という言葉を紹介しています。
先ほどの「雪払い」の事例は、自分の内側の身体感覚を広げてゆくものでしたが、身体近接空間は「自分の外側にまで広がった身体感覚」として捉えることができそうです。
たしかに傘の先が周辺視野に入ってくると少し身構えるというか「当たったら危ないから距離を置こう」という気持ちになり、実際に距離を置きます。身体がざわつくというか、嫌な感じはたしかにあります。
車を運転しているときも、身体感覚が外に広がっている事例として紹介されていました。車は自分の身体ではないですが、あたかも自分の身体のように車体の外側がだいたいどの辺にあるかが分かります。その感覚の広がりがあるからこそ、道を曲がるとき、駐車するときなどに適切な距離を保つことができています。
「ペリパーソナル・スペース」に意識を向けると身体をもっとうまく使えるようになる。この話を受けて思うことは「意識が外側に広がりにくくなり、身体を上手く使えなくなってきているのではないか?」ということです。
例えば、スマートフォンやパソコンなど、何か一点に意識を向ける時間が増えていると思います。そのときに全身に意識が向いているかと言われると、意識は向いていないことが圧倒的に多いと思います。
自分はつねに自分を取り巻く外側の環境に触れている。無意識的な触覚に意識を向けて「身体性を取り戻す」ことが、今こそ必要とされているのではないかと思うのでした。
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