見出し画像

計算、身体性、算盤 - 具体と抽象の対応 -

日常の中で最も慣れ親しんでいる数の数え方は、どのような数え方だろう?おそらく「10進法」ではないだろうか。0から9までの10個の数字を数えたら桁が変わる数え方である。

昔の記憶をたどると、10進法に慣れ親しんだきっかけは何だったのだろう?10本ある手の指を一つずつ折ったり伸ばしたりしながら数を数えていたような気がする。数字と指の状態(どの手のどの指が折り曲がっているのか)を対応付けながら、抽象(数)と具体(指)の関係を、それこそ身体で覚えていったように思う。

数の数え方は10進法にかぎらない。他にはどのような数え方があるだろう?たとえば「2進法」がある。0、1と2つの数を数えたら桁数が変わる数え方。10進法に慣れ親しんでから初めて2進法に出会ったとき、頭の中が混乱したのを覚えている。

いま振り返ってみれば、手の指は①折り曲がっているか、②伸びているか、の2つの状態を取ることができるので、前者を0、後者を1として考えれば、10進法と同じように身体を使って2進法で数を数える練習ができたかもしれない。

この後「計算とは何か?」に関する論考からいくつかの言葉を引いているのだけれど、この指の曲げ伸ばしは物理的な状態であり、「物理的な」状態と「抽象的な」数を関連付けてゆく営みは大切なように思う。

さて、2進法における9は「1001」と表される。桁の上がり方を踏まえれば、具体的に$${9=1×2^3+0×2^2+0×2^1+1×2^0}$$と計算される。

指の曲げ伸ばしで2進法で数を数えようと思うと、最初は片手だけを使って指を折り曲げたり、伸ばさなければらない。この動作は年齢を問わずかなり至難の技かもしれない。特に薬指だけを伸ばして、その他の指は曲げている状態は難しい。

一方、10進法は10本の指を端から順番に折り曲げてゆき、全てが曲がったら端から伸ばしてゆけばよいわけで、とても単純。そして、何より順番に指を曲げてゆくのは「なめらかさ」が心地よい。順番に指を折り曲げ始め、波のようにつながる流れに身も心もゆだねることに楽しさと心地よさを覚えるのではないだろうか。だからこそ、10進法は自然に身体になじむのだと思う。

「数を数える」という営みによって世界は支えられているのかもしれない。他の生物は人間のように0, 1, 2…と、記号的な数字を使っているのではないと思うけれど、生きてゆくために距離を測ったり、数を記憶しているわけで。

そして、瞬時に判断するためだったり、漏れなく無駄なく数えたりするために「最もよい数え方は何か?」という問いに向き合っている。

デジタルコンピュータの計算能力向上に伴い、計算はコンピュータに任せることが増えてきたかもしれないけれど、計算と身体性をあらためて結び直す営みがあってもよいのかもしれない。その意味で計算と身体性を結びつける「算盤」は面白いなあと思う。

計算機科学では、2進法が使われて、数字は0と1の列で表されます。例えば、9は1001と表されます。これを数値と解釈しないで、0と1を区別のつく状態とみなすと物理との関係が見えてきます。コインの裏表や偏光の縦横など物理的に区別ができるものなら何でもいいのです。一文字情報の場合、状態は0か1のどちらかで、これを1ビットの状態といいます。少し前に挙げた1001は4ビット情報です。

『現代思想2023年7月号 特集=<計算>の世界』 細谷曉夫 計算とは何だろう?

一般に、はじめにテープに書かれた0と1の列を始状態とし、書き換えられた結果のテープの0と1の列を終状態としたとき、計算とはそれらの状態間の変化です。その状態の変化の結果に意味をあたえるのは解釈の問題です。(中略)計算が可能であるとはチューリングマシンの動きがいつかは停止することです。これが現代の数理的論理学の計算可能性の判定条件です。

『現代思想2023年7月号 特集=<計算>の世界』 細谷曉夫 計算とは何だろう?

古典的に与えられた問題に対応する量子状態を見出すところがアルゴリズムで、機械にはできないところです。(中略)量子に限らず、アルゴリズムの発見はインスピレーションを必要とする仕事のように思います。最大公約数を求めるためのユークリッドの互除法などは、言われなければ考えつきませんが、量子になるとさらに大変です。私見ですが、ショアによる素因数分解とグローバーによる"探索"アルゴリズムと独立なアルゴリズムは見つかっていないように思います。

『現代思想2023年7月号 特集=<計算>の世界』 細谷曉夫 計算とは何だろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?