僕の作り方(脚本と演出)

 脚本というのは、映像作品の元になるものだ。登場人物がどのような場所でどのようなこと言うか、どんな動きをしているか、などを書く。色々なフォーマットがあるが、僕の場合はこんな感じで書いている。ちなみに最近はほとんどiPadProで書いている。iPadのWordアプリは出始めた当初は日本語仕様の出来が悪くて使い物にならなかったが、何度かのアップデートを経て、今はかなり使える。重いパソコンを持ち歩かなくていいし、このまま絵コンテも描けるので今ではとても重宝している。

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 「柱」と呼ばれる場所や時間を示したものがまずあり、その後に「ト書き」と呼ばれる部分がある。ト書きは状況説明や動きなどを説明したりする時に書くものだが、短過ぎてもいけないし、長過ぎてもいけないという話だが、僕は結構長く細かく書く方だ。それから台詞。僕の場合、脚本を書くときは「テーマ」にウェイトを置いて書く。その物語で何を言いたいか、ということを念頭において書くわけだ。テーマを考える時は文字で書いたほうが考えやすいのだ。脚本を書いている時は、映像的な制約などを少し頭の脇の方に押しやって、考えないようにする。制約を最初から考え過ぎると、広がりを作りにくい。でもこれは僕が自分で演出までする場合のことで、依頼された場合の脚本は当然、映像的な制約も考えて書かないと、「はあ?こんなの映像にできないだろう」とお叱りを受けることになる。

 僕が自分で演出するという場合は、基本的にコマ撮りアニメーションというジャンルになり、これは元々非常に制約の多い映像表現だから、最初からそれを考え過ぎると、新しい表現が生まれなくなってしまう。自分で演出することを念頭に置いているので、普通は脚本に書かないことも書き込む場合がある。ここから音楽が始まる、などというメモ的なものだ。これも普通は書いたら「余計なことを書くな」とお叱りを受ける。最後のページに、200字の原稿用紙で何枚か、というのを書く。「二百字詰原稿用紙〇〇枚」とかそういう感じで。これで映像の長さを測るのだが、最近は800字設定のページ数で何ページか、というので見ている場合も多いように思う。具体的にどうやったら脚本が書けるのかは、別の問題なのでまたの機会に。一言だけ言っておくなら、日本語が書けるからと言って脚本が書けるわけではないということ。「日本語書けるから、小説書ける!」とはならないですよね?それと同じです。


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 次に絵コンテになるのだが、僕の場合、上のようなメモ的に描いていくことが多い。フォトショップや、お絵かきソフト、アプリを使う。最初からガッツリ描かないのは絵が上手くないからというのもあるけれど、動きが想定できなくなってしまうから。脚本の時はテーマにウェイトを置く、と書いたが、今度は動きや視覚的に見る人に何を伝えたいか、ということにウェイトを置く。自分で脚本を書いていても、映像的に置き換える段階で多少の修正は出てくる。ちょっと別人の頭になるわけだ。登場人物の芝居や、絵面を思い浮かべながら、描いていく。今までの作品の場合、このラフなコンテを想定する尺で編集し、ビデオコンテにしてしまう。仮の音楽や、台詞の音声を入れて、出来上がりのイメージに近づけていく。どこでどのようなカメラアングルを作るか、どう繋いでいくか、レンズをどうするか(標準なのか、望遠なのか、広角なのか、絞りはどうするか)、色合いをどうするか、というようなことでその演出家のカラーが出てくると思うが、これも話し始めると長くなるし、語れるほどの実績もないので、やめておく。

 これも、コマ撮りアニメーションなので制約があるのだが、出来るだけ制約を考えずに描く。脚本の時よりは考えるが、ここも考え過ぎると、新しい表現が生まれなくなってしまう。また、僕が作るジャンルは人形を使うコマ撮りなので、アニメというよりは俳優さんを起用した実写映像に近い。だから僕の場合、実写的なイメージで考えて描いていく。ただ、人形はどうしても人形で、人間ではない。でも、見ている人にそれを忘れて、のめり込んで欲しい。それには演出の工夫をしないといけない。これは僕の命題で、最初の方のカット割りはかなりそこを意識する。人形のアニメーションの工夫もそこに注力するが、これも詳しくはまたの機会に。

 ちょっと思うところがあり、書いてみたのですが、あまりまともに詳細を書けないですね。またいずれ。

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