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ウソとゴマカシだらけの共同親権反対論     ~その2~

「DV(Domestic Violence)」のウソ・ゴマカシ

 まず、《 DV(家庭内暴力)は絶対に許されないものであるし、DVに苦しむ被害者には適切な救済が用意されるべきことは当然である》という点は、共同親権を導入すべきと主張する人たちにとっても共通の理解と言って差し支えないでしょう。
 それなら、DV被害者を守るために共同親権は導入すべきではないのでしょうか?
 いいえ、違います。なぜなら、DV(児童虐待も含む)のない夫婦でも離婚することは普通にあることだからです。
 日本にはDVに対応するための法律として「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」(以下、「DV防止法」と言います)が2001年(平成13年)に作られ施行されています。この法律ができる前には、配偶者の暴力に苦しむ人(多くの場合は母親)が子連れで逃げ出さざるを得なかったということは理解できます。そして、そのような場合は被害者(母親)に単独親権を認める方が子の利益にもかなう場合がほとんどだったでしょう。しかし、離婚後の単独親権は戦後1947年(昭和22年)の民法改正以来のものですし、改正後しばらくの間は父親が単独親権者となることが多かったという事実から明らかなように、本来、親権制度とDVは別個のものなのです。もちろん、ひどいDVがあった場合には親権を剝奪したり制限したりして、子どもや他方の親の保護を図る必要があります。しかし、それはそのような例外的な場合に手当をすれば済む話であって、離婚したら父母どちらかの親権しか認めないということには絶対につながりません。
 このパンフは、「DV」の項目に多くのスペースを割き、あたかも離婚後の共同親権が導入されたらDV被害者が守られなくなるかのように錯覚させています。
典型的なゴマカシの手口です。
(もう一つ、このパンフの中で「『DV』とはパートナーや子どもを支配することです」とさらっと書かれている点にも異論があるのですが、長くなりますので、別の記事でDVの本質やDV対策の問題点については述べることとします。)

「離婚後の親権について」のウソ・ゴマカシ

 まず、離婚後に単独親権制度がとられている理由について、「離婚後の父母に任意の協力関係が望めない場合が例外的であるとはいい難く、むしろ、父母が離婚した場合には、通常、父母が別居し、両名の関係が必ずしも良好なものではない状況となることが想定される」という高裁の裁判例を引用しています。
 確かに、離婚する夫婦は、多くの場合、夫婦の関係がぎくしゃくし良好でない場合が多いでしょう。特に、離婚問題が家庭裁判所に持ち込まれるのは、当事者同士で話し合いがつかない場合ですから(当事者で話し合いがつけば協議離婚という簡便な方法で離婚できます)、裁判官の目に映る離婚夫婦はそのような人たちばかりということになります。
 しかし、世間には当事者双方が夫婦関係を続けることは困難だと悟り、離婚の道を選択する夫婦もいます。実際に、協議離婚で離婚する夫婦は離婚全体の約9割を占めます。もちろん、これは離婚全体ですので子のない夫婦や子が成人済みの夫婦も含まれます。しかし、このように話し合いで離婚できる(一般に「円満離婚」とも言われます)夫婦もいるのに、絶対的に単独親権としなければならない必要はあるのでしょうか。また、親権者をどちらか一方と決めなければならないことから、離婚する夫婦間に新たな対立を持ち込むことになってはいないでしょうか。
 「共同親権に反対」と言っておきながら、単独親権制度を合理的に説明しない。これも、立派なゴマカシです。
 もう一つ、見過ごせないのが「主たる監護者」という考え方です。
 いまの日本では、共働き世帯の方がいわゆる専業主婦のいる家庭よりも多くなっています(下図)。もちろん、パートやアルバイトなどの共働きも含まれますので、それでも妻の方が家事や育児を主として担っているという家庭も多いでしょう。夫の家事・育児時間が少ないという不満の声もよく聞きます。
 しかし、ここで見落としてはいけないことは、家庭の外にでて仕事をして働き収入を得てくることも家族生活を支える大事な柱だということです。パンフの中で夫が「生活費を渡さない」ことは「経済的暴力」と書かれています。しかし、きちんと生活費を渡していたのに、『自分が主たる監護者だから』といって子どもを一方的に連れて別居してしまう行為は「精神的暴力」そのものではないでしょうか。
 また、主たる監護者が子どもにとって最善の親であるという保証もありません。主たる監護者がいわゆる「毒親」だったら子の最善の利益はかないません。「子どもに意見を聞いたらいいじゃないか」と思うかもしれませんが、子どもが幼児だったらそんな能力はありません。
 前回述べた「子どもの権利条約」は両親が子どもに関わることが子にとっての最善の利益につながるという思想を背景に成り立っています。そのうえで、子の最善の利益を害するような親であれば司法機関が判断してその親を排除しなさいとしているのです。「主たる監護者」の考え方は、このような基本的人権を大切にする国際的な潮流にそぐわないものなのです。このような基本的な思想をオブラートに包みこんで見せなくするのも、ゴマカシと言うほかありません。


合意すればできるというウソ・ゴマカシ

パンフには「離婚後の子どもと別居親との関わりについては、非親権者だからといって認められない、というものではありません。父母ともに子どもに関心があり、離婚後も相互に協力し合える関係がある場合、共同で子育てをすることに法的制限はなく、離婚後の共同決定、共同養育については、現行法のもとでも、自由に行うことができます。」と書かれていますが、
これこそ、最大のウソです
 少し考えれば誰でも分かると思います。「共同決定」や「共同養育」をするかしないかは、すべて親権者に決定権があります。戦前は、家父長制の下、戸主(多くの場合は父親)がすべての決定権を握っていましたが、離婚後の単独親権制度はまさにこの状況を離婚後の同居親・別居親の関係、同居親・子どもの関係において再現していると言ってもいいのではないでしょうか。
 このように、最終決定権は親権者がすべて握っているにも関わらず、パンフでは「さまざまな事情のもと面会交流すら認められていないケースや、DVや虐待があるケースで」「共同養育は常識的に難しい」と続けて、離婚後の親子の断絶の責任はすべて非親権者(別居親)にあるかのように印象付けています。巧みに非親権者がDV(虐待)加害者であるという断言を避けてはいますが、そのように読み手を誤認させる意図が感じられ、非常に悪質なウソだと思います。

「面会交流」のウソ・ゴマカシ

 この項目にも、重大なウソ・ゴマカシがあります。ちょっと記事が長くなってしまったので、この部分に関する記事は「ウソとゴマカシだらけの共同親権反対論~補足~」という形で別記事に詳しく書きます。

結び

 サブタイトルで「あなたも『加害者』の仲間に入りますか?」と書きました。ここまでお読みいただいた聡明な方はすでにお気づきと思いますが、日本では《DVも虐待もないのに》《恣意的に配偶者に子どもを連れ去られて》《親権を失い》《子どもと会えなくなる》親が少なからず存在しています。「はじめに」の中で述べましたが、親と子が情愛で結ばれた人間関係を形成することは憲法24条2項で保障された基本的人権です。また、親が子の成長を見守り、その成長に責任をもってかかわりたいという気持ちは、その人の人格の重要な部分を占めますから、憲法13条の幸福追求権でも保障されていると言えます。
 共同親権を導入せずにこれまでのやり方を続けようと主張することは、子どもと引き離された親たち・親と引き離された子どもたちの人権を無視し踏みにじる行為(加害行為)と言えます。 
 そうした人々にとって、デマに満ち溢れたこのパンフはそれ自体が一種の言葉の暴力と言っても過言ではないでしょう。このようなパンフを積極的に配布することはもちろん、それに騙されて乗せられてしまうことも加害行為と言えると思います。
 あなたは、「加害者」の仲間入りをしたいですか?
   それとも、
 憲法や子どもの権利条約=基本的人権を守り、日本でも正しい共同親権を作りたいですか?


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