小学校というサバンナ

地球が回る=地動説
太陽が動く=天動説
どっちが正しいのかを説明出来ぬならそういう教材を使って問題作って答えさせられぬ。小学校教諭というのはそういう水準を疑わねばなにをしよるかわからぬ連中で、そういう人間から子どもを守ってやるのは親しか出来ぬ。
ただ、親がいつでも正しいとは限らないと知るには小学校は最適のところ。
ところが小学校教諭というのは結構子どもをいじめたりしよる。それをはねのけることの出来る子どもばかりではないので、学校が子どもの命や心を壊す時に無理に子どもを学校に行かせることもないがヨイトマケの歌のようなこともある。
実際、小学校というところほど、凶暴な環境もそうはない。ボーイスカウトやガールスカウトが軍隊の幼年学校だったように歴史から見れば小学校というのは軍隊みたいなところである。
強い軍隊は兵士をいじめたりしないので、いじめのある小学校というのは、現実の苛酷な事柄を乗り越えていけぬところであるからいじめなどを戒めるのに、そういうことを小学校教諭の教員採用試験で試問せぬので小学校教諭の水準は全体として低い。
教育というものを考えると小学校教諭の養成方法を見直す必要があるようにいつも思う。

追記 2019年10月7日
神戸市立東須磨小学校で20代の教諭に30代から40代の男女の教諭が目に激辛カレーを塗りつける様子を動画に撮影し、女性教諭は子どもたちに面白いと語っていて処分を検討されて刑事裁判になろうとしている。
教員採用試験で倫理試問の筆記試験や面接試験をしてこういう人間として腐った人間をはじく作業が教育現場では必要ではないだろうか。