上級国民

「上級国民」という観点で人間をみることに対しての抑止力は何もないのは「上級国民」という言い方が感情に立脚するからで、分断の強力な作用を生む。「上級国民」説に批判的な人間は可処分所得が高めで、批判に説得力が薄くなる。可処分所得が高めの君が上級国民説に批判的なのは君も上級国民だからとなるから。
マスメディアは上級国民という言い方に批判的だがマスメディアを構成する主要な人間たちは可処分所得が高めで自分たちが上級国民だから批判的なのだろうと思われている。実際マスメディアの最近の社会での行動に国民の多くに納得を得られる行動が減ってきていて、大津の事故で保育園への記者会見などで公平性を欠いたりして国民に批判された。君たちは上級国民だからだろうとなっている。
実際上級国民という言い方には冷淡な意図しかなくて、池袋の事故の加害者がなぜ逮捕されないかの説得力ある説明がないので、逮捕されないのは上級国民だからだろうという感情的結論が説得力を帯びてしまう。
国民を上級中級下級で区分けするのは平等思想ではなく階層社会として社会を把握しており、法律に照らして犯罪者は逮捕するということをせねば法治国家ではない。韓国のようにけしからん罪があると日本にそれを適用するとき上級国民だから捕まらないのはけしからんとなる。
池袋の事故の加害者を逮捕するときは刑法の過失認定の観点から責任能力の判定が必要で責任能力があるなら刑法犯罪者として逮捕せねばならない。決してけしからん罪で逮捕してはいけない。
つまり大津の事故の加害者が逮捕されるのも池袋の事故の加害者の逮捕が留保されているのも法律に照らし合わせてのことであり、情状酌量の観点はまた別話である。上級国民でないから逮捕され上級国民だと逮捕されないという感情的デマが流布するのはそれだけ社会の格差が広がり、公平性の不担保不執行が増えているからでもある。

追記 2019年5月17日
池袋の事故の加害者が、警察の事故車の検証と異なる証言をしている。池袋の事故の加害者は可処分所得も高い、高級官僚だったらしい。自分の身体が運転するのに不都合になってたらしく、医師の制限をこの加害者は運転することに関して受けていたという。
車を運転するときの自覚というものが足らなくなったと客観的に証明できたら免許停止にするとか方法はあるはず。運転免許制度は基本構造がもともとそうなっている。
実際、池袋の事故の加害者は車を運転する自覚が足らない。認知判断操作が円滑に出来ない状態で運転するとかいうのは。
車を運転するときの認知判断操作が円滑でない重大事故が各地で頻発しているが、そういうのは安心して外を歩けなくなるので自覚を持って運転してくれないか。君がいま手に握って運転している車というのは操作をあやまると人の命を奪う。交通事故はだれも幸せにはしないものだ。
北米でプリウスのアクセルの不具合でリコールがあったときに国内のプリウスもリコールされているが国民の多数が認知するほどは報道しなかったのでリコール隠しと言われているという。
プリウスの事故が目立つのは言って見れば狼藉を働く団塊世代や団塊ジュニア世代の様子と同じで稼働数が多くその中でリコールまでいく欠陥が引き起こす事故車の数も多くなるのでプリウスは事故が多いという印象を与えているらしい。億に届くかという生産台数の自動車を出荷時に欠陥車をあぶり出しすることには限界があり、稼働させて欠陥車をあぶり出しするためにリコールがある。
池袋の事故車の警察の検証で車体にリコールに至るまでの故障はないという捜査になっていて加害者は車体の欠陥を主張しており、それをはっきりさせるには刑事裁判しか方法はないと思う。

追記 2019年5月18日
池袋の事故の加害者が病院を退院し任意聴取を受けていて、事故による重大な過失でも逮捕要件を満たさないから逮捕を留保されているが、逮捕要件の基準を示さないと重大な交通事故での恣意的逮捕というものを警察は交通事故の加害者にしてしまってはいないかと国民に疑われてしまうのではなかろうか。客観的基準で逮捕要件を見たとき重大な過失でも逃亡や証拠隠滅の恐れがないと逮捕しないその基準を明示する必要があるようにも思う。大津の事故の加害者にも逃亡や証拠隠滅の恐れはなかったのだが逮捕して、拘留しているときに命の安全から釈放したらしいが、保育士が骨折した公園への暴走事故の加害者の逮捕要件基準もこの二つのどちらとも基準が違う形跡がある。逮捕要件の明確な基準がなく、毛沢東が言っていたように法律は伸び縮みする物差しなのであろうか。
人権を考慮したときに犯罪や過失で逮捕するその逮捕要件は客観的基準でなければならず、決して韓国のように世論が圧力となってけしからんから罪に問うことは法治国家ではしてはならないから池袋の事故の加害者は逮捕されていないとも言える。

追記 2019年11月10日
上級国民という言葉を流行語大賞にノミネートさせることになったこの池袋事故の加害者は書類送検はされた。
書類送検ということは不起訴の可能性もある。
会見で語ったことを見ているとこの池袋事故の加害者には事故の当事者意識が低い印象を受ける。
自分の運転する車の欠陥を主張し車の改善を述べるということより前に人間が車を運転するときの基礎的技能や判断力、認知力に疑問のある状態を無視して車を運転して人を跳ねて殺したということへの責任感が見事にない。
刑事裁判を開き罪に問うた方がいいのではないか。

追記 2021年4月28日
池袋事故の刑事裁判で加害者はアクセルは踏んでいないブレーキを思い切り踏んだ、勝手に車が加速したと証言している。
ブレーキ痕もなく96キロまで加速した状況からみて、加害者の証言を客観的に的確に証明するには、事故車の稼働実験をすればはっきりとする。
おそらくアクセルとブレーキの踏み間違いを認知できていない状態に加害者はあり、もしそうなら認知症検査が必要になる。認知症なら事故責任を問えない、無罪である。もし無罪なら加害者は病院にこの先一生収用した方がいい。起こしたことが重大な過失で反社会性が高いので措置入院が相当である。
認知能力があると判定されたら責任能力があるので実刑判決が相当だろう。
あまり時間をかける必要はない。必要な検証と検査が済めば判決を出した方がいい。せいぜいあと半年も必要なくあと3ヶ月でいいと思う。

追記2021年10月12日
2021年9月6日に禁錮5年の実刑判決が出て、9月17日に刑が確定していた飯塚幸三被告が収監され服役に就くことになった。