政治での禁酒は過去に失敗例がある

アラブ社会のように戒律で飲酒を禁じても現実的には隠れて酒を飲む人間は居るので、なにも根本的解決にはならず、問題を水面下に沈めてしまい、深刻にさせるだけである。
飲食店で禁酒をしても酒を飲む人間は居なくはならない。酒が地下経済化し、マフィアを生んだといえば1920年代の米国である。
禁酒を政治で行うということは有史以来どうして酒というものがあるのかという文化人類的視点が欠けている。イスラム教は酒より新しい。
小池百合子はエジプト留学経験があるので禁酒に拒否感覚がない。
酒の提供を禁じていない国の方がなぜ多いかというと、禁じることによって発生する治安悪化や地下経済化の害悪が1920年代の米国で一通り明らかになったからである。
個人が性質や生活上の理由から飲酒をしないことは自由権だが、公権力が禁酒を行うのを政治の手段にしてはいけない。
日本社会はアラブ社会とは違う。