管見の限り

「管見の限りだがこう言う結論になる」が自分の意見です。
そこに至るまでに沢山見聞きしてもなお見た限りだがと断らないと、自分が見た程度のことを世界の真理のように言ってしまうんです。せいぜい自分の見たことなどたかが知れておりわからないこと知らないことの方が遥かに多いのです。
「自分の考えを言いなさい」ではなく、「君の言っていることと同じことを君より前に言った人は誰かいますか、それを調査しなさい」それが大学以上の教育の本筋です。学術論文というのはそういう筋目で書かれていないといかんものです。その人間が自分の想定外のことを言うくらいで普通と思ってるんです。
戦国時代に自分の居城を移して行った武将の主な人物は織田信長ですが、豊臣秀吉も徳川家康も伊達政宗も自分の居城を移して行った武将です。それを織田信長ぐらいですと学生に言うというのはその人の知っている範囲ではそうだというだけで実際はどうかは自分で確かめるものです。
自分の説を述べるには客観的根拠が必要です。それのないのは論説にはならないのです。
近世初期というのは日本全国で築城ブームで、現存する城郭はこの近世初期以前のものは残っていません。松江城のように築城した武将とその後の城主が変わっているところも多く、伊達政宗は米沢の出身で、仙台に築城して移り住みます。豊臣秀吉は尾張から姫路城に移り後に大坂城を築城します。徳川家康は岡崎から浜松に移りさらに江戸に移ります。織田信長は名古屋から清洲、岐阜、安土と移ります。
近世初期の築城ブームというのは同時代に滅亡した明の移民が築城の主力だったのではないかということをHindyQuestという人が言っています。築城と同時に城下町も作られており、土木技術というのは江戸時代に最高水準になります。
自分の意見を述べるというよりその意見に至る客観的根拠は何かというものを明らかにしていくことから始まっていくのです。そしてその意見を最初に言ったものは誰なのかを明示するのが最低線なのです。