AIという計算機に芸術家のような感情表現は可能かどうか
計算機に感情表現ができるかどうかの研究で文豪や芸術家のような感情表現が計算機に出来てしまったときに文芸や芸術もAIが出来るということになる。
フィボナッチ数列で黄金分割の絵画をAIが描くとしても、人間の感情表現を数式で完全に表現できるのか、という基本的な問題がある。
絵画や文芸や音楽は人間が表現するときに発生する数式で表現不可能な揺れや歪みというものが感情を複雑に刺激するのだとも言える。
微分や積分で曲線を計算するという作業は計算する数値帯を極小や極大に分割して曲線のようなものを数値化しているので、曲線で描かれている波というものの表現はデジタルではアナログとは異なり、デジタルで限りなくアナログとほぼ変わらない表現が可能になっただけでアナログを表現しているのではない。
陶芸や金工も実は歪みや揺れが感情表現の幅を生むので首里城にある琉球ガラスのワイングラスや燿変天目茶碗が文化財ということなので、計算機にそのような表現が可能かどうか、という事になる。
堀越二郎がサバの骨の曲線を計算尺で計算して零戦の垂直尾翼の曲線のデザインに設計したようなことも電子計算機もNC旋盤もない時代に零戦は設計されて作られていたので、AIの代わりは人間には出来るが、その逆は果たして可能なのだろうか。
単に計算機の表現する無機質な美の表現に人間が慣れただけのことではなかろうか。