25年

註 : 映画観賞後読了推奨

エヴァンゲリオンの話の最初が語られ始めたのは1995年のことです。
以来25年、エヴァンゲリオンはまるで宿便のように身体に溜まり、割りと不都合な感じで身体にありました。
2021年3月8日に最後の話が公開され、妻と観に行きました。
情報量の多さは25年前からそうだったので、それを詳述してネタバレも含んでいる文章もいくつもあるからわたしはそういうのは一切言いいません。
全体的に流れるダークファンタジーの要素を娯楽として摂取するということが麻薬をキメることなんだよときちんと表現されていて、不健康さをある種の健康さに止揚していくのに25年の歳月を必要としたというのは、これを表現してきた庵野秀明氏自身の事情を作品に投影していって多くの人間の琴線に触れる普遍を描くという作家性以外の何物でもありません。
25年溜まりに溜まった宿便がきれいさっぱり出て行った感じで、心も身体も軽くなっていきました。
興行として観るものに一定の納得をさせ満足させているので、ようやくエヴァンゲリオンは終了するようです。
エヴァンゲリオンはおっちゃんの自意識をBOYにしてしまうところがあるので、もうそういうのもいい加減区切りが必要だったのです。
人生は辻褄が合っていればそれでいいのだ、とは赤塚不二夫です。
おそらくもうこのコンテンツで新作を誰も望まないでありましょう。
宇宙戦艦ヤマトが犯した間違いを犯さないように望むのみであります。
エヴァンゲリオンはある時に庵野秀明氏自身が語っていたことですが衒学であり学識ではないので細かい情報には一般的学識ではないことも描かれています。(例 : 新種の温泉ペンギン) 表現作品は学術ではないので別にそれはそれです。
そもそも創世記はジェネシスでエヴァンゲリオンは福音書です。
ネオンジェネシスエヴァンゲリオンという名称自体が創作です。
きちんと確認はしていませんがシンエヴァンゲリオンというのはアルファベットで綴るとおそらく Sin Evangelion 戒律の罪の福音書ということでしょう。

写真は劇場に観に行くと貰えるグッズです。式波アスカです。註 : 先着順

追記 2021.03.11
ネタバレは言わないとは言いました。
補完のことをいくつか以下に述べます。
聖書の話題がエヴァンゲリオンには度々用語として創作の体裁で登場します。それは25年前からずっと一貫しています。
ヨハネによる福音書を読むと、イエスの弟子12人、12使徒ですが、イエスの使徒は新約聖書では12人が定員で欠員が出ると補充というものでした。13人目の使徒とか13番目の支族というのはユダヤの伝承でずっと話題にされております。ユダヤの伝承に則ると東方に行ってしまった13番目の支族、13番目の使徒という存在があったのではということになります。イスカリオテのユダとイスカリオテではないユダの2人のユダが12使徒には居て、イスカリオテのユダはイエスに私を裏切るだろうと予告されて裏切り、イエスがポンテオピラトに引渡された時に裏切り役としてヨハネによる福音書には出てきます。イスカリオテとはヘブライ語でイシュケリヨト、ケリヨト人ということです。ケリヨト人はユダヤの支族なので、ユダヤ人の人名がそのまま名乗られた多くの人間たちのグループの1つです。聖書を読むと同名異人が多く出て来ます。イエスの母の同名異人も居ます。
ローマ教皇ベネディクト16世の69回目の一般謁見演説でイスカリオテのユダとマティアというのが語られていて、イスカリオテとはそもそもどういう意味かで諸説あると述べられています。聖書の範囲では使徒はイエスが選抜した12人のことをいいイスカリオテのユダが裏切りを予告されて去った後に使徒はマティアが補充されてまた12人になり13人目の使徒という発想はキリスト教会にはありません。
新約聖書はコイネギリシア語で書かれており、ヨハネによる福音書を含む福音書は新約聖書に収められています。
イスカリオテとはイシュケリヨトのコイネギリシア語表現という説をここでは採ります。
東方に行ってしまった13番目の支族やユダヤの12支族のことを宇宙空母ギャラクティカなどではユダヤの12支族が12惑星連合となり滅び、脱出民がギャラクティカに乗り組んで13番目の惑星地球を目指して旅をするというもので描いたのです。
キリストには対立する存在としてアンチキリストが設定されてSFやダークファンタジーでは描かれることが一種のお約束であり、エヴァンゲリオンはダークファンタジーなのでアンチキリストの側面から描くのが通常の表現となる世界観です。
東方の三博士はコンピュータシステムでしたし、磔刑に処せられたイエスを刺した槍も出て来ますね。
通常のキリスト教的世界観では表のものがエヴァンゲリオンでは悉く裏のものということです。
ヨコハマ買い出し紀行にターポンというDNAボートが登場しますが、あの発想は創世記のノアの方舟をSFで扱う時に宇宙船になるからです。
シンエヴァンゲリオン劇場版にはタイトルに楽譜で用いられる反復終止記号(:||)が附されているのでこの話で25年の一連の話を反復して終了することがタイトルで明示されています。
理解の一助にと思い記します。

追記 2021.03.15
シンエヴァンゲリオン劇場版:|| はR指定で公開されています。15歳未満の子どもは大人の親族同伴でないと鑑賞できません。
私と妻が観に行った劇場の同じ上映回に15歳未満の子どもとその大人の親族という二人が居て、観終わった二人に遭遇すると子どもがよく分からなかったと言うと大人の親族が難しかったねと言っていました。
日本語字幕を付けて上映することになったというのですが原罪(もともとは創世記の禁断の知恵の木の実をアダムとエヴァが食べたこと)とかを耳で聴いて漢字が分かるのはキリスト教の素養のある人間だけです。
新劇場版4部作は観客層が二極化しており、理解できない感じを鑑賞しに行く層と、隅々までの情報量の洪水をサーフィンしにいく情報サーファー層とです。そもそも公開された作品をいきなり見て内容が半分くらいしかわからない私からみれば、情報サーファーが長文のネタバレブログを書いているので、別にどうしてもそういうものを書きたいならそうしますが、むしろあれは観に行った人々で後で飲み会などをした時に分からなかったですね。ああ分からなかったね。そう言い合い、誰でもわかる部分やある程度の予備知識があればわかることをあの箇所はこういうことなんだよと蘊蓄垂れることが本筋ではなくて、むしろ公開されている宣伝映像のアヤナミレイの田植えを、田植えしてたね。後で自衛隊仕様お風呂(自衛隊温泉)に入ってたねと言い合って楽しむもののようです。
むしろ話の本筋を語る雰囲気は全く醸成されておらず、観に行った人々の大半はそれは誰に言われなくてもこれは黙っておくもののようだと感じてネタバレを語らないらしいです。むしろ理解できない感じを鑑賞しに行く層は分からなかったのでネタバレのしようもないです。私も半分しか分からなかったのでネタバレのしようもないです。ネタバレは情報サーファーがしていてそれが客観的事実を表しているのか主観的観察の結果なのかの峻別すら怪しいものです。
滔々と語られてても主観的観察の場合も少なからずあり、辛うじて、シンエヴァンゲリオン劇場版:|| の「:||」が楽譜の反復終止記号なので25年の一連の話はこの話で終わりだよと明示されていることくらいが私には想像できたくらいです。
最初のテレビシリーズにはあるSF作家が研究序説を書いており、ある精神科医は精神医学用語が多数出てくる情報の洪水だと言っていました。内罰という言葉を使っていましたし。
たしかに仕切り直して4部作を作った訳で、Qに至っては鑑賞者たちの想像の真裏を進んだので、そこをどう落とし前を付けるのかと一人で劇場に赴き巌流島の果たし合いのようにみていた人々だらけであったところもあったらしいです。人生を狂わされたオタクたちが総決算するのに赴いたと言われていたし、楽しんで劇場で鑑賞するためには人選も大事です。
とはいえ、庵野秀明氏の個人世界観を示してあそこまで観客を動員するということが本人にとって良い作用を生むのならもうそっとしておこうと思いました。
人間の内的世界もそれは宇宙なのですから。

追記 2021.03.19
朝日新聞がシンエヴァンゲリオン劇場版:||を話題にし始めたのでもういいでしょうか。
結局もっともらしいことを言ったっておっぱいの大きい女の子を男の子は好きなのですよ。

追記 2021.03.20
ずっと考えていたのですが、エヴァンゲリオンの世界にどうして自衛隊テイストのものが出てくるのかで、1995年といえば阪神淡路震災が起きて、自衛隊が初めて湊川中学校にお風呂を野営設置したんです。つまりその後のいくつかの災害を経て、人間が自然災害でどう困難に遭遇しどう逞しく生き延びてきたかを、シンエヴァンゲリオン劇場版:||では描かれていまして、そこで自衛隊温泉はどうしても必要な描写なのだと納得したのです。

追記 2021.03.22
エヴァンゲリオンの最初のテレビシリーズのエピソードに京都大学理学部形而上生物学冬月研究室ってのが出てくるんですが、冬月コウゾウ先生と碇ユイと六分儀ゲンドウが居りまして、ゲンドウ編といえばそれのことかと思うんですがね。
新種の温泉ペンギンですが、形而上生物学の研究対象ででもあったのでしょうか、1匹捕獲されて葛城ミサトが世話をしていましたが後に野生のものたちがどうも浜名湖に群生している様子で話が終わるようです。第三村というのは静岡県湖西市の新所原付近の設定ですから浜名湖の西側近くです。:||