日本国紀という小説
日本国紀に銅鐸文化圏と銅矛文化圏を敢えて使うとあり二つの文化圏は重ならないとあるが島根県出雲市斐川町(遺跡発掘当時は島根県簸川郡斐川町)の荒神谷遺跡から大量の銅鐸と銅矛がまとめて出土したので銅鐸文化圏と銅矛文化圏があって二つは重ならないという説は成り立たない。たった一つに近い事例だが、反証例は一つあれば論説の証明を覆えせる。荒神谷遺跡はそういう遺跡である。
一応、日本国紀には一部例外の地域ありと銅鐸文化圏と銅矛文化圏のことを言っていて、荒神谷遺跡はその例外地域ということになるのかな。
荒神谷遺跡から出土した銅鐸と銅矛と銅剣は整然と並べられていた状態で見つかったので調査した考古学者があまりにも大量だったと述べていたのである。
日本国紀は言われているように右翼向けなので、確かに日本はいかに素晴らしい国かという締めくくりの文章が目立つ。古代の項目を読んでも、そもそも定説などはっきりとない時代のことなので自説を言いたい放題出来るのだが、偽書かというと、研究の一方の未確定の見解である。
そもそもwikipediaからのコピペでも、客観的事実、荒神谷遺跡(本文中では出雲地方の遺跡)から出土した遺物は整然と並べられていた状態で見つかったということを書いてもそれは出土した状況がそうだったことははっきり分かっているのでそれ自体の記述に著作権などはなく、それを書いたところで問題でもなんでもない。
畿内の遺跡の銅鐸は破壊されている状態で出土し中国地方の遺跡の銅鐸は大事に隠されるかのように埋められていた状態で出土しているとあり、「大事に隠されるかのように埋められていた」という表現の記述を考古学の発掘調査報告書ではしない。その客観的事実を伝えているのみで、そこからの解釈には主観が入る。このような書き方は表現作品の叙述であろう。
日本の6世紀までの歴史の記述は解釈に諸説あり、天皇が万世一系であったかなかったも学説により立場も意見も異なっている。皇學館大学の日本史のテキストには最初に天皇は万世一系と書いてはあるが大方の歴史学や考古学ではむしろその反対の見解が支配的である。継体天皇王朝交代説も論争の種である。邪馬台国がどこにあったかはもう百年以上論争されていてまだ結論が出ていない。古墳の様子から推定する考古学の立場は歴史学とは微妙に立場が異なる。考古学や民俗学、宗教学などを踏まえて日本の古代の姿を描くというとき、集合した見解のどれに著作権があっていちいち論証するという趣旨の本では日本国紀はそもそもないし、律令制度のところではっきり述べていたが、制度の詳細を語るのは話としてはつまらなくなるのでそういうことはしないという。話としての面白さに拘って書くと日本国紀のような表現になるのかもしれない。あくまでも歴史を題材とした表現作品ならそれでもいいのではないだろうか。
日本国紀の記述をwikipediaからのコピペを著者が認めたからとこの本自体の価値が下がるかというと、創作物でいいのかもしれないよ。食材をどこから仕入れて美味しく調理するかどうかはそれこそ小説家の力量と才能の問題なので、食材に安いありきたりのものを使って食べごたえのある料理を仕上げているとすればそれは百田尚樹の小説家としての力量ということになる。剽窃を告発するなら告発者が剽窃を立証せねばならない。そうでないものを一般的には誹謗中傷と呼ぶ。
それに剽窃を告発するなら具体的に記述を比較照合して鑑定検証してまとまった形で意見表明せねばならず、管見の限りそのような反論よりも誹謗中傷に近い形のコメントが際立って目立つ。反論があって納得出来ぬのならば堂々と批判して検証すればいいことである。
百田尚樹は小説家であって歴史家ではないので歴史を描いてもそれは種類で言えば小説であろう。日本国紀は歴史書というより小説であろう。