小山田圭吾
子どもの頃の障害児をいじめた過去を告白して、東京五輪の仕事を任されてから大炎上している。
いじめのような犯罪を犯しても反省することなく何食わぬ顔で暮らしている人間はたくさんいる。
小山田圭吾は過去を過ちを自分の未熟と後悔して謝罪している。
この一連の様子を正義中毒から叩く者、障害を持っていたらいじめられるのかと詰め寄る者、胸糞悪いいじめだと不快感を露にする者。
真島昌利がTRAIN TRAIN で弱いものたちが夕暮れさらに弱いものを叩くその音が響き渡ればブルースは加速してゆくと歌詞にしたことがある。
障害児を叩いた小山田圭吾も弱いもので、今は正直に罪を告白して弱いものたちに叩かれまくっている。
自分の間違いを謝罪できる人間はまだいいやつな方だ。
自業自得だと冷酷に言う者や胸糞悪いいじめだと不快感を露にする者は私は未熟で悪いところのある人間ではないのかと思う。
小山田圭吾はこの先どんなに素晴らしい楽曲を発表しても障害児をいじめた奴と言われる。
手塚治虫の火の鳥鳳凰編に登場する和泉の我王のように目覚ましい業績を上げても過去の過ちでさらに断罪されて追放されるようなことが、小山田圭吾には付きまとい、その錬獄を生きると彼は覚悟するしか道はない。
もし自分と自分のしてきたことをきちんと見つめるなら小山田圭吾の音楽は人の心に刺さるものになり、その覚悟が甘いと人の心に刺さる音楽にはならないだろう。
信頼を失うのはあっという間である。だがとても大変な茨の道でも失った信頼は取り戻せるものでもある。
そういう人間をこれ以上自分の正義で叩くな。
追記 2021年7月19日
小山田圭吾が五輪の仕事を降りた。
正義というものに耽ったらろくでもないと私は考えているのだが、表現をする人間の人格や品行の方正さを求めるという姿に言い知れない気持ちの悪さを感じていたところに竜とそばかすの姫を鑑賞してジャスティスという悪役が出てきたので、正義中毒の悪徳というものを問題にしている人がいると分かって少し心が落ち着いた。
追記 2021年7月20日
さらにガン患者の病室で騒ぎ、また1人死んだと嘲笑していた過去が暴かれる。
自分の立場が悪くなればほとぼりを冷ますまで潜り、人が程よく忘れたころにひょこひょこ出てくるのだとするとその程度のやつで、音楽も大したことはなくなっているだろう。
じっと見ているものはおるのだよ。
小山田圭吾、きみ今きちんとしないと明日ないよ。
一度きみ、火の鳥鳳凰編を読んでみたらどうかね。
悪いことばかりしてきたきみなら何か感じ取れるのではないか。そしてきみの音楽を死に物狂いでやったらどうかね。