純文学から学んだこと

万延元年のフットボールを読んだとき、この話にフットボールの描写がさっぱりないので、純文学というものはあれか、タイトル通りにストーリーテリングしてはいけない決まりでもあるのかと訝しく思ったことを覚えている。
そもそもフットボールは日本には飛鳥時代からあるので、万延元年などという幕末の血みどろに京都でフットボールに興じたのかと思ったが、どうもそうでもないので、純文学は一筋でストーリーを描いてはいけない呪いでもかかっているのかと思った。

そう思って純文学をさほど意識せずに小説を垂れ流してきたので、最近になって自分が昔書いたものを読んだら、把握出来る程度のことを描写したところでたかが知れていることがわかった。

一定の蓋然を描写してもそれが精緻な作りになっていないもので感情を溢れかえらせたところで人が読んで楽しんで面白いと思ってくれるだろうかと見事に考えたことがなかった。

万延元年のフットボールをわしが読むことをギブアップしたようなことがないように、わしが書いたものを最後まで楽しんで面白いと思ってもらえるようなものを書こうと思ってやっていくことにした。