処理水と汚染水

科学的見地から原発の排水を放射性物質の濃度を無害な濃度まで希釈すると処理水だが、呪術的見地から原発の溶融した燃料棒に一度でも触れたので汚染水であり穢れ思想で扱いをして相克になっているのではないか。
濃度の希釈という科学ではなく未知の放射性物質に一度でも触れて汚染された呪術なのであって、問題のバトルフィールドは科学から政治そして文化人類学へとバトルフィールドが移って行っているように感じる。
反対派を納得させるには無毒化神事を行なうしかないかもしれない。穢れをすすぐのは水での禊である。新たに神が生まれるような禊である。