漢文と現代中国語

わしは漢文を理解したので英語も理解する事ができた。福沢諭吉がそういう人だったと後で知った。
漢文教育が失敗したのはそうだが、日本の史料を読むのに漢文の素養を必要とする。漢文教育不要論というのは時々出るが、教養の底の浅いことである。
漢文と現代中国語は言語が異なるが文字だけが同じものなので現代中国語で漢文教育をすることは中国人が漢文を教えるときでもしない。
まあ多分日本の国語教師の漢文教育の仕方に問題があるから野田洋次郎のような意見が出てもすぐにそういうことではないとならず賛否両論になるくらいには教養の水準が下がっているということである。
中国人で漢文を教えている人間の漢文の授業でその人は「勉強とは読書すること」と言っていて漢籍を読むということが勉強だったのである。教わることより自ら学ぶことの比重が高いのが漢文である。受け身に教えてくれなかったは自分の努力不足を棚に上げることである。
福沢諭吉は漢籍素読の教育を受けた時代の人間なので咸臨丸でサンフランシスコに渡った時にウェブスター英語辞典と華英辞典を入手して漢文の素養で英語を独習したと言われている。また渡航以前に漢文素読や漢籍講読のノウハウで福沢諭吉は大量に書いて大量に音読するという英語の独習をしていたという。
清の時代まで中国には科挙があったので現代中国語と漢文の言文不一致が長く続いた。
漢の時代と唐の時代以降とで中国は生活様式までがらりと変わっていて別の言語というくらいに異なるのが漢文と現代中国語である。
つまり漢文教育は外国語教育ではなく国語教育なのである。英語教育と国語教育の橋渡しを漢文教育は行っている。