経済は人が幸せになるためのもの

 公に表明されている意見は誰からお金を貰って書いているかが観察するときのポイントと言うが、人間の感情を広く動かすと実に様々な背景のお金が表現した人間の財布に入るので、自然と特定の人間から貰って表現しているものとは異なってくる。
 経済は人が幸せになるためのもので、多くの人の感情を幸せに感じさせる表現が発表される時には、いろいろな背景のお金が沢山舞い込む。そしてそういう表現をする人間たちというのは、謙虚で努力家でユーモラスで愛情が溢れている場合が多く、表現に毒があったとしても、それだけではなく、慈愛の眼差しというものが注がれている。
 特定の人間たちのためだけの表現は当然ながら、その表現によって悲しんだり怒ったり不幸を感じるものであることが多い。
 ヘイトスピーチというものは正直な感情表現ではあるが、その表現によって嫌な思いをする人たちが必ず存在する 。人間は正面切ってきみは嫌いである、きみの属性が嫌いだからである、ということに強いメンタルを持っている人間ばかりではない。
 嫌われる勇気が必要なのは生き物というのは基本的に好き嫌いが本能としてあるので、自然に逆らうよりも自然の中で生きて行くには必要になるからに過ぎない。
 ある特定の事柄や意見に反対するということだけに終始して、それがビジネスとなり、そのビジネスにお金を出す人たちがいるので、そのビジネスにお金を出した人たちの方を向いた表現となり、多くの人の感情は動かさない。ブラック企業撲滅というが、黒も自然にはあることで、なくしてしまったら不都合の方が問題として顕著になるだろうから、黒に覆いつくされないようにだけを留意すればいいのだと思う。
 日本人や日本の素晴らしい文化や歴史を表現するときに果たして他の国と比べて、こういうところが日本や日本人は優れているとばかり言って、果たして多くの人の感情を幸せに感じるように動かすものであろうか。そもそもある国や民族の素晴らしいところを素晴らしいと言うのはその国や民族ではなく、他の国や民族であって、韓国人や中国人の素晴らしいところやいいところも当然あるわけであって、日本人の素晴らしいところを語る時に韓国人や中国人の悪いところを引き合いに出す必要はない。
 当然のことに経済は人の幸せのためのものであるので、銃を作るより映画を撮った方がいいはずである。映画を撮る時にある民族の負の遺産を述べるのはより良い明日に素晴らしく幸せに暮らすための戒めのためのはずで、いかにひどいことをされたかを述べてそれを銅像にする必要があるのであろうか。
 人間の罪というものを表現するのに罪の悪辣さを表現するのは、人間は綺麗なことばかり言ったりやったりするばかりでは心に泥がどんどん溜まって心を蝕むと五木寛之も言っている、ということからみると、心の泥を吐くための装置での意味合いしかないだろう。
 人が幸せを感じる時にはお金も動く。経済というのは本来そういう幸せを感じる心が動かすもので、数字や理論はそれを測定したり実現するための道具であって、幸せに暮らすために必要なのは思想と感情である。