死をみたもの

横浜に東日本大震災で避難してきた福島県のご家庭の子どもが数百万円をカツアゲされたことを手記に書いていて、どうやらいじめられていたとわかったことがある。
東日本大震災で怖い思いをして食い物が一時的に少なくなったのは自分たちもだ、なぜおまえたちだけ賠償金を受け取れる、その賠償金をよこせと、大人たちもこのご家庭をいじめたという。
このご家庭の子どもの手記をみると、どうやら命まで取られぬ、お金ならくれてやったらいい、と命が夥しく失われた体験を経た生命力の強い意志を感じた。
人間はただ生きているだけで理不尽な体験をするものであるが、このいじめた人々の人間の小ささが目立って、そういう人間としての狡く黒いところを見てしまうと、命があるというのは宝で奇跡の宝石なんだから、自分の命という宝石の光を濁らせなくともいいのになあと思う反面、濁ってどす黒く鈍い炎がたぎるのもまた人間であるとも思う。
直に6年目の3月11日となる。