生存確認
世の中は不思議なものだ。
この広い世界の中で、ご縁の不思議。
たとえば誰かが誰かに旅先で僕のことを話したとき、その相手が僕の仲間の身内であることもある。ましてや地元ならなおさら。
そうして話が僕に届く。きっと東北でも沖縄でも東京でも富山でもおなじ。
昔、南青山の道を歩いていると、後ろから自転車に乗った男性が走ってきて「あとじー」と背中を叩いて走り抜けていったことがある。
僕の同郷の学生時代のバンド仲間。無数の時間と場所の中で、ここで出会うのかという偶然。
今では、とんとご無沙汰にしているけれど、渋谷のスクランブル交差点を歩けば、よく知人、仲間に出会えた。
同じ時間に、こんなに小さな点のような場所で出会うなんて、日本ってそんなに狭いのかとよく思った。
修行者の沈黙には、言葉の沈黙、感覚の沈黙、暴力的な抑制による沈黙、深い眠りの沈黙があって、沈黙は金という姿勢は最上であると言われながら、それがふさわしくないときもある。
実際の修行では深い眠りの沈黙が最高で、僕も完全に理解できているわけではないのだろうけれど、これは、深い眠りゆえにあまり夢を見ず、真我にとどまり続ける不動の状態を指すのだと思う。夢見は心が散漫な状態。
人生には不思議なくらいに似通ったサイクルがあり、カルマ、ダルマ、喜び、精神的な苦悩などが、なんとなく感じているサイクルで何度も何度もめぐり来ることがある。
これは星と人間の悠久の相関図でもあって、占星術などはこの仕組みを解析するのだろうけれど、僕たちは、このわかりきったようなサイクルをくぐり抜けなければいけない。または何事もないかのように、あるいは自由に飛び越せるように生きられる強さがあればいい。
自分の臨在を心配してもらえることで知る、大切な人たちの臨在がある。
ときどきは生存確認が必要な年齢になったのだなとも思う。
同じようなサイクルで巡る、ある意味シンプルと言っていいのかわからないようなこの世界の中で、深い眠りのようにありながら、瞳を開いて、ありのままを見る。
会えていない時間があるから、あらゆることは諸行無常なのだけれど、懐かしい仲間の声、言葉は、真我に巻き戻してもらえる一番の特効薬。
ほんのちょっとしたことが救いになることもある。
なんらかの導きなのだと思う。感謝でいっぱいになる。
そしてそれはとてつもなく大きな愛なのだと知る。
Makoto ATOZI
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