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舟の中で眠るイエス

プロジェクトについて、細かい懸念点を全部つぶして、もうあとはないよな、と思っても、不安感がぬぐえないことがある。

不安感をかかえたまま、見切り発車、だ。

不安感は「この先、何が起こるか予見できない」という事実から来る。わからないものは、わからない、としか言えないので、どうしようもない。

ある程度予見可能な事態であれば、過去の経験に照らして、懸念点としてタグ付けして、整理も、対処も、外注さえも可能だ。

予見できないことがある。

コロナ禍にしたって、『復活の日』を書いた小松左京を別にすれば、予見できた人は、ほとんどいないんじゃないか。

だが、神となると、話は別だ。

時間と空間を創造した神は、時間を超越している。神はいまこの瞬間、時間のはじまり、時間の中身、時間のおわりを、同時にぜんぶ見ている。「予見」ではない。過去・未来・現在を、リアルタイムに「いま」のこととして見ている。神が神たるゆえんだ。

なので、プロジェクトについて、懸念点を全部つぶして、あとはないよな、でも、驚くようなトラブルがきっと起きるよな、それは予見できないんだよな、だから、「神にゆだねよう」という結論になる。

あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。
箴言 序 16:3 新共同訳

Jesus in the boat

・・・という言葉がある。

この舟にイエスが一緒に乗っている。だから、嵐になっても、この舟はかならず向こう岸に着く、という意味。

舟の中のイエスは、「神」なので、嵐が来ることも、自身が嵐を鎮めることも、すべて知っている。すべてを知っているイエスは(福音書のエピソードによれば)舟の"とも"の方で、腕枕をして、ぐっすり眠っている。そこには不安は無いのだ。


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