試されるとき
試練と似た言葉に、試験がある。
リトマス試験紙、とか。
試料にひたして、青が赤になったら酸性、赤が青になったらアルカリ性、というやつ。
コロナ禍というのは、ある意味、心のリトマス試験紙みたいなものか。
家にこもる生活が長く続けば、人によって、涙を流す、怒り出す、自分を失う、だれかを攻撃する、など、いろんな反応があるだろう。
逆に、何も変わらない、落ち着いている、むしろ楽しむ、という人もいるだろう。
1か月、ずっと閉じこもっていて、何も変わらない、という人も、さらにこれから1か月、閉じこもるわけだから、この先、どんな反応が出るかは、わからない。そこで、今日の聖書の言葉だ。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリント人への第一の手紙 10:13
自分の本当の姿に直面させられる切迫した場面のことをビジネス用語で Meet Jesus Moment と言うけれど、それは、ありがたくないものだ。
しかし、ありがたいことに、今日の聖書は「逃れる道をも備えられている」と言っている。
いったい、どんな逃れの道があるのか、今の時点では、まだ見えていない。
それが見えない間は、しょうがないので、リトマス試験紙が赤になるのか青になるのか、見極めて、自分が知らなかった本当の自分の姿を見せてもらうことにしよう。
その直後に、すばらしい「逃れの道」が見つかることを、期待しつつ。
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