待ち続ける
とても天気の良い祝日。
あー、散歩に行きたい。でも、家にこもる。
マスクから、手袋から、アルコール消毒液から、社会的距離から解放されて、自由に出歩ける日が来るのを、ひたすら、待つ。
どれだけ待てばよいだろう。
ウイルスへの抗体を持つ人口が70パーセントに達したら、その人たちが生きた壁になってウイルスを封じ込め、終息に至る、という希望的観測。これは、抗体を持つ人に二度目の感染は無い、という証明されていない前提に立っている。
もし、二度目、三度目の感染があり得た場合、当然、人間の壁は成立しなくなる。
そうなると、待つ期間は、はてしなく長くなる可能性もある。そこで、今日の聖書の言葉。
わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。 そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
詩篇 130:5
古代イスラエル人は、途方もない国難のさなか、救い主(キリスト)の到来を待ち望んでいた。
第一神殿(ソロモンの神殿)がバビロンのネブカドネザル王の軍隊によって破壊されたのが、紀元前587年のこと。その日から、古代イスラエル人はキリストの到来を待ち続けた。
イエス・キリストが誕生したのが、紀元前4年頃のこと。
実に580年以上、待ち続けたことになる。
こうなると、希望を抱いて待つことが、あたりまえの日常の姿勢になってしまう。しかも、自分が生きている間は実現しないかもしれないのに、それでも、待ち続ける、ということだ。
そのキリストが十字架にかかり、復活し、40日間にわたって弟子たちに現れ、エルサレムのオリーブ山の頂上から天に昇って行ったのが、西暦33年頃のこと。
それ以来、クリスチャンは、イエス・キリストが「ふたたび来る」のを、待ち続けている。もうすでに、1980年以上、待ち続けている計算だ。
大切なことも、中ぐらいのことも、小さなことも、気長に待ち続ける姿勢が必要だ、というわけだねー。
しょうがない。どーん、と構えて、待ち続けましょう。
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