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タイムベースコレクター②U-matic

時は40年ほど巻き戻して、大学を1年留年していたワタクシ。
「沖縄でカッコイイコマーシャルが作りたい」
その頃のTVCMときたら「🎵ヤンバルの兄さんまーかいがー」だの「かたぬきやみさに希望の広場」だの今考えればある意味ローカルにしっかりと根を張ったターゲットを絞り込んだ物が多く、私のような島ナイチャーには「どうもなんだかな」って感じでした。
だって沖縄だよ、綺麗な海、コーラルの砂浜、亜熱帯の植物、エキゾチック美人の女の子、絵になるものが揃っているのに使わないって何よ?
「それなら俺が作ってやる!」
若気の至りで、県内企業にアタックして「R大学の学生です。御社のCM私に作らせてみませんか?」回ってみたものの就職活動と誤解されるのが精一杯で、そうじゃないと解ると「うちは◯◯さんと契約しているから」と冷たいお返事で、浦添のバーで落ち込んでいました。
ところが、私の愚痴をカウンターで聞いていた初老のお客さんが「兄さん広告屋さんね?」と声をかけてくれました。話すうちに彼はOビールの広報担当で「じゃ試しに作ってみて、それ見て良かったら会社に提示してみるよ」となりました。
ハイハイ、今なら絶対疑います。しかしそこは若気の至りですから。笑
大学の研究室には当時かなり良い機材が揃っていましたが、さすがにそれを使うわけにはいきません。出入りの業者さん沖縄AVセンター(SONY系)に「沖縄で一番良い機材持ってる所教えて」と尋ねると教えてくれたのが路地裏の電気屋さんでした。
紹介してもらって行ってみると、三管式サチコンカメラとU-maticポータブルVTRがあり、簡易編集機までありました。横には車のワイパーモーターを改造して作ったロールスーパー装置まである。スゴイ!
国際通りの地下のカクテルバーで可愛い女の子をナンパして、以前からロケハンしていた前田岬や恩納村のビーチでロケして、編集仕上げまで2日で済ませてビール会社に持って行ったところ、名刺の名前で出て来たのは違う人でした。
これこれこうで、と話すと「いやウチは代理店が決まっているから、そんな事はしません」そうですよね、そんなんですよね、自分が甘いんですよね。
打ちひしがれて、機材を貸してくれた電気屋さんに事情を話すと「君がそんなにカメラが好きなら機材レンタル代をうちで働いて返してみるかね?」と優しいお言葉。そのままバイトを始め卒業後もそのまま就職致しました。

用語説明

三管式サチコンカメラ
今はCMOS、少し前ならCCDというイメージセンサーが主流でしたがその前は真空管を使った撮像管が使われていて、放送局ではプランビコン(Plumbicon)が最高峰とされ、業務用にはNHK技研と日立が共同開発したサチコン(Saticon)管があった。撮像管は高輝度に弱く、太陽や照明などを直接撮影すると焼き付けをおこし、以後の映像にキズが付いた。プランビコンもサチコンもコメットテールと呼ばれる高輝度の後に尾を引く現象があった。
三管式とはプリズムを用いて映像をRGB光の三原色に分けてそれぞれ撮像管で捉える技術で色の再現性が良い。ただし、3つの管のイメージを合わせるレジ合わせやセンタリングは高度な調整技術が必要だった。CCDの登場で消えていった。

U-matic VTR
SONYが開発したカセット型VTR(ビデオテープレコーダー)
それまで映像を録画するのはオープンリールのVTRだった。最初は2インチに直角に記録していたが、ヘリカルスキャン(斜め記録)方式が登場し1インチになった。

BVH−2000 世界を席巻した名機です


そこから更に3/4インチのカセットになったのがUマチックである。Uマチックは軽量で50kg程のボディは大人の男子なら2人で運ぶ事が出来た。SONYはさらにテープ幅は3/4インチのまま箱のサイズを小さくして20分録画だが15kg程のポータブルVTRを作り、これが世界のテレビニュースを変えたENG(エレクトリックニュースギャザリング)の始まりだった。

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