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タイムベースコレクター④PCM録音

電気屋さんで働きはじめたワタクシ。
一番多いのが結婚披露宴の撮影でしたが、次に多かったのは琉球古典芸能です。
当時沖縄では子供の頃から琉球舞踊や音曲演奏を習い事として行う習慣があり、それを教える教室や先生もたくさんいらっしゃいました。社長はそんな先生達とも交流があって(営業努力でしょう)会の発表会やコンクールなどを撮影記録する仕事も結構ありました。特に古典に真摯に取り組む方達のニーズに応える撮影方法を会得していて、正統派琉球舞踊関係には評判が良かったと記憶しています。

写真は沖縄タイムスさん提供の佐藤先生


また、社長はアルコールは受け付けない人でしたが「そばを食べに」時々連れて行ってもらっていたパブがあります。その店は反戦歌「キセンバル」を作った事で左翼界では有名なシンガーソングライターの海瀬頭豊さんの店で、時々ギターを持って角の舞台で歌っていました。

AIさん作画


その店に沖縄ハーバービューホテルの社長さんがよく来ていて(やっぱり営業努力)社長さんがクラシックが好きだというので話が盛り上がり、沖縄初の県民オペラをやろうという話になり、ハーバービューの社長さんが脚本、海勢頭さんが作曲する事になりました。
オペラ上演の話はどんどん進んで開演前になりNHKがシャシャリ出てきて「公式映像はNHKが撮りますからWさんは邪魔にならない様に・・・」私のNHK嫌いはこの頃作られたみたいです。
悔しさを噛み締めてそれでも3カメラ体制で撮ったのですが、秘密兵器がありました。クラシック音楽が好きで路地裏の電気屋さんに山水のスピーカーを据えつけていた社長は「クラシックは、特に今度の豊のオペラは音のダイナミックレンジが広い。だから小さな音から会場が震える様な大きな音まで録音出来ないといけない」と言って、当時ほとんど普及していなかったPCM録音機を用意していました。

AIさん作画


県民オペラ「オヤケアカハチ」は感動のフィナーレと盛大な拍手で幕を下ろしましたが翌日、NHKの担当者が相談に来ました。音が割れていたらしい。ザマア笑!

音割れ
音声の録音にはマニュアルとオートがあります。
マニュアルは人がレベルを調整するもので、オートは機械が調整します。
アナログ録音を再生する時、小さく録音された音声はテープノイズやヒス音に邪魔されて聞き取りにくいので、マニュアル操作である程度レベルを上げて録音します。
それを自動でやるのがオートなのですが、当時のオートは別名「頭叩き」と呼ばれる酷いもので常にレベルを上げて録音しようとする反面、大きな音が来ると割れない様に抑えつけるので直後は無音になり音楽などには向かない物でプロは使いませんでした。
NHKの音声さんは音域の広さに苦しまれた事でしょう。

技術解説
PCM録音機
音声録音が全てアナログだった時代、最初に登場したのがPCM録音でした。
ただ、高サンプリング周波数に対応する記録装置が無かったので、SONYはデジタルデータを映像化してVTRで記録する様にしました。
日頃結婚披露宴で活躍しているポータブルBetamaxのデッキとセットになった音声をデジタル映像に変換する機械がありました。

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