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べサメ・ムーチョとビートルズ

「ベサメ・ムーチョ」は、メキシコ生まれの曲だ。「もっとキスして、まるで今夜が最後であるかのように」との切実な願いが歌われる。女流作曲家・ピアニストのコンスエロ・ ベラスケスによる作品で、1941年に発表された。メキシコ系男性歌手のアンディ・ ラッセルによる英語詞を歌うレコードが、44年に米国でヒットして全米10位を記録。さらに同年、ジミー・ドーシ ー・オーケストラがヴォーカルのボブ・エバリーとキティ・カレンのヴォーカルをフィーチャーして、「キス・ミー・マッチ」のタイトルの元に発表、こちらも全米1位とヒットした。

日本に初めて紹介されたのは、50年1月に発売され たザビア・クガート・オーケストラによるシングル盤。54年5月にトリオ・ロス・パンチョスのコーラス歌唱版が紹介されヒットすると、より広く知られるようになり、今日では日本で最も著名なラテン曲の一つとなった。

この「ベサメ・ムーチョ」を、ビートルズが取りあげている。リード・ヴォーカルはポール・マッカートニー。1962年6月6日にEMIのオーディション受ける際に、「ラヴ・ミー・ドゥ」「P.S.アイ・ラヴ・ユー」「アスク・ミー・ホワイ」と一緒に演奏した。この時の演奏のテープが残っていて、1995年にリリースされた「ザ・ビートルズ・アンソロジー1」に収録された。

ビートルズのオリジナル曲に可能性を見出し、プロデューサーとして彼らを成功に導くために尽力したジョージ・マーティンは、ビートルズが演奏する「ベサメ・ムーチョ」を聞いて、「ビートルズと名乗る連中は、その当時でさえ古臭く聞こえるような通俗歌謡をたて続けに、ただ機械的に演奏しているだけなのだ」と、辛口な評価を下している。「『ベサメ・ムーチョ』といったものに、ファッツ・ウォーラーの「ユア・フィーツ・トゥ・ビッグ」といった妙なブルース・クラシックを入れて変化を付けていた」と、自身のアメリカ音楽への教養を示しつつ、いかにも辛辣な口ぶりだ。「この当時の英国のチャート・ミュージックの傾向を踏まえ、ささやくように歌われるバラードこそが成功への道筋を約束するものだと信じたブライアン・エプスタインが、その種の歌を歌うことを強要したのだ」とも述べる。

ジョージ・マーティンの分析が、全く的はずれだったとも言えないのかもしれない。ただしその一方で、ビートルズの「ベサメ・ムーチョ」は、R&Bグループのコースターズのバージョンが元になっていたことに注目したいと思う。コースターズは、1950年代後半から60年代初期にかけて「ヤケティ・ヤック」や「サーチン」などのヒット曲を量産したアメリカの黒人4人組ヴォーカル・グループ。若者の生活をいきいきと描写する歌詞をロックンロールに持ち込んだという点で、チャック・ベリーと並ぶパイオニアと今日では賞賛されている。

コースターズは、ビートルズのお気に入りだった。アルバムを聴いたポールは、「それは砂金を掘りあてたようなものだった」と語っている。ビートルズにとって「ベサメ・ムーチョ」の演奏は、自分たちが目指すR&B音楽に近づくためのひとつの手がかりであり、「通俗歌謡」以上の意味を持つものだったのだろうと思う。

こちら不合格となった1962年1月1日のデッカでのオーディションのヴァージョンでは、ポールとジョージがコースターズのコーラスをコピーしていることがわかる。


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