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アメリカのヒット曲に転じたハイチの「シュクーヌ」

大江田信

イエロー・バード



曲の出自をたどっていくうちに、思いもかけないネタ元にたどり着くことがある。「イエロー・バード」は、そういう曲だ。



オスワルド・デュラン作詞、モーレアル・モントン作曲による「シュクーヌ」を聴いたノーマン・ルボフが、サビのメロディを拝借しようと、英語詞を依頼した。担当したのは、アランとマリリンのバーグマン夫妻。「風のささやき」、「追憶」、「これからの人生」など、素晴らしい味わいの歌詞を数多く残したおしどり夫婦だ。二人による最初期の仕事だろう。これをノーマン・ルボフが自身のクワイア・コーラスに歌わせ、1957年のアルバム『カリプソ・ホリデイ』に「イエロー・バード」として収録した。


同じころハリー・ベラフォンテが「わたしを愛さないで(Don't Ever Love Me)」のタイトルのもとに、まったく別の歌詞を付けてこのメロデイを歌った。ベラフォンテのために「バナナ・ボート・ソング」や「さらばジャマイカ」を書いたアーヴィング・バーギーが、作詞作曲家としてクレジットされている。こちらは全米90位を記録した。



そして1961年には、アーサー・ライマン・グループが演奏する「イエロー・バード」のシングル盤が発表され、全米4位の大ヒットを記録した。


こうして「イエロー・バード」は、アメリカで広く知られる曲になった。

ネタ元の「シュクーヌ」は、19世紀末にハイチで発表された作品。ハイチは、ドミニカ共和国、キューバ、ジャマイカに挟まれるようにして位置するカリブ海の小国だ。



「イエロー・バード」がヒットした背景には、ハリー・ベラフォンテの存在がある。ハリー・ベラフォンテは1956年のアルバム「カリプソ」の大ヒットをきっかけに、全米に空前のカリプソ・ブームを巻き起こしたシンガーだ。カリプソとは、カリブ海に浮かぶ島国、トリニダード・トバゴの音楽のこと。アルバム「カリプソ」は、それ風のサウンドによる「カリブ海の国々の音楽集」的な内容だったのだが、アルバムのヒットを機に、カリプソ=「カリブ海の音楽を総称する言葉」になってしまった。バハマのフォーク・ソング「ジョンB号の難破」、カリプソ歌手のローリング・ライオンの作品を原曲とする「マリアンヌ」、ジャマイカ民謡の労働歌を起源とする「バナナ・ボート・ソング」などが、カリプソ・ブームの中で登場した。



カリブ海一帯の音楽がヒットしていたのと前後して、ハワイの音楽もアメリカ加盟を機に本土で関心を持たれていた。エキゾチックな視点でハワイを音像化したマーティン・デニーのもとで、ヴィヴラフォンを演奏していたアーサー・ライマンが、こんどはカリブ音楽の「イエロー・バード」を取り上げると、全米4位のヒット。これは奇遇と言うべきか、狙いどうりにハマった言うべきか。


ハイチの音楽家、イッサ・エル・サイエと彼のオーケストラが演奏する「シュクーヌ」はこちら。「イエロー・バード」の元歌だということが、はっきりわかる。


ある日出会った褐色の娘。微笑みかけてくる娘に、ボーッとなり「神よ、なんてきれいな生き物なんだろう!」とつぶやいてしまう。森のなかで小鳥がそれを聞いて、「忘れた方がいい、ひどい苦しみになるから」とたしなめる。きれいな胸の持ち主で、決して貞淑とはいえない娘に恋をしてしまい、ノイローゼ気味になってしまう。原曲の「シュクーヌ」の歌詞は、このようなものだという。

「イエロー・バード」の方はというと、こんな内容だ。
恋を失った主人公が、空を飛び回ることができる黄色い鳥に、「あなたは幸運だ」と呼びかけ、「私も黄色い鳥になれたらいいのに」と願いつつ、「可愛い女の子は、いつだって飛び去っていく」と嘆く。ほろ苦い失恋の告白であると同時に、去って行った可愛い女の子の姿を、ふと想像させる歌になった。

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