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"豊かさの終焉"がもたらした1970年代のアメリカとロック

音楽文化論の聴講[第12回]
1970年代 | 続ロックの多様化、テクノロジーの進歩とロック表現の進化、ファンクの登場

●大学の音楽文化論の12回目の授業は、「ロックの多様化に影響を与えた70年代米国の社会状況をさらに理解」し、「ロックの表現の多様化とテクノロジーの進歩の関係について理解」し、そして「R&Bから派生した70年代のソウルとファンクについて理解」するというものです。
以下に、先生の指摘や説明をまとめます。

●60年代後半、ロック演奏における大音量の誕生と、それを可能とした高音質かつ高出力可能なアンプとスピーカーの開発が進んだ。大音量で演奏するハードロックが登場し、 大音量がロックの表現手段の1つとなる。また主としてエレクトリック・ギターの音色を変化させるために使われる装置であるエフェクターが発明され、進化した。ヴォーカルや他の楽器の音色変化に、使われることもあった。音色の多様化により、より多様な音楽表現を可能とした。

●鍵盤楽器の電子化が進んだ。30年代に電子オルガンが誕生、60年代に電子ピアノがミュージシャンに普及。さらに電気的に多種多様な音色が作成・編集可能な鍵盤楽器であるシンセサイザーが60年代に普及した。60年代後半からロックに取り入れられ、70年代末にはデジタル・シンセサイザーが発明されると、プログレシブ・ロックの表現に不可欠な楽器となった。また後のニューウェイブ等、様々なロック表現と密接に関わる楽器となった。
また事前に録音しておいた音を演奏するサンプラー機能を装備した楽器が、発明された。60年代後半には、磁気式サンプラー機能を備えた鍵盤楽器であるメロトロン、70年代後半にデジタル式のサンプラー機能を備えた鍵盤楽器であるフェアライトなどが誕生した。音色の多様化に加え、多様な楽器の音を鍵盤楽器で演奏可能となり、さらに多様な音楽表現を可能とした。

●ロックの多様化の背景にあった1970年代米国は、「豊かな時代」が終焉を迎えた時代だった。
1950年代における郊外での中産階級家庭の大量消費による物質的に「豊かな生活」は、"夫の高収入"と"多額の住宅ローン"が可能にしていた。家庭内の一人の稼ぎで十分に「豊かな生活」が可能だった。
ところが1970年代に入ると、オイルショックによる原油価格の上昇、ベトナム戦争の多大な戦費、巨大企業による市場の独占等を背景として生じた物価上昇と景気の後退によって、もはや夫の収入だけでは「豊かな生活」の維持が困難になった。それでも一度手にいれた「豊かな生活」を手放すことは、難しい(それでも他国と比べれば、経済的にはなおも非常に豊かではあったのだが)。
こうした景気後退がもたらしたものは、
・パートタイム労働等の低賃金労働を中心とする職に"妻たち"がつき始め、女性の社会進出が始まった。しかし家庭でも職場でも「男性中心の価値観」に、変化は見られなかった。→こうした旧態然たる状況への反発が、「男女の雇用と教育の平等」を求める70年代のウイメンズ・リブ運動の誕生につながった。
・それまで低賃金労働に従事していた黒人下層労働者の失業者が、増加した。

●女性の社会進出に呼応するかのように、女性ミュージシャンがロックに進出した。
先駆的な存在としては、スタジオ・ミュージシャンとして数々の名曲のレコーディングに参加したキャロル・ケイのほか、ティナ・ターナー(ダンス・パフォーマーとしても優れていた)、ダスティ・スプリングフィールド、グレース・スリック(ジェファーソン・エアププレインのヴォーカリスト)、ジャニス・ジョプリンなどのヴォーカリストがいる。
さらにキャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、リンダ・ロンシュタット、スティーヴィー・ニックスなど、作詞作曲、選曲、器楽演奏、サウンド作りに積極的な役割を果たす女性音楽家も登場した。
従来とは異なり、男性との恋愛を歌う際において、男性に対して批判的な視点での歌詞が数多く書かれるようになった。

●ソウルにおいても、洗練、高度化、複雑化、多様化の動きが見られるようになる。
16ビートの定着、アフロ・ビートの導入、ジャズやラテン音楽の要素の反映に加え、ストリングスを大胆に導入するフィラデルフィア・ソウルが誕生した。
黒人の社会進出による黒人中産階級の増加の一方で、都市のゲットー人口が増加し、失業率や都市犯罪が増加した。こうして、黒人における階層が生じた。
明日への希望や将来の夢が語られる一方、失業・貧困・犯罪等の厳しい生活の現実が歌詞に反映された。
70年代の代表的なソウル系アーチストとして、マービン・ゲイ、スティヴィー・ワンダー、ロバータ・フラック、ジ・オージェイズ、ザ・スタイリスティックスなど。

●R&Bから派生したファンクが、新たなジャンルをなした。
ファンクとは、16ビートを基本とするリズムのくり返しを多用し、高揚感を生み出すダンス・ミュージック。
ボーカル中心のソウルに対し、ファンクは器楽演奏を重視し、曲中に長いインストルメンタルを内包したり、伴奏にとどまらないホーンセクションの演奏の活用に特徴がある。
代表的なアーチストとして、ジェームス・ブラウン、スライ&ファミリー・ストーン、パーラメント、ファンカデリック、アース・ウインド&ファイアなど。

●英国においてグラム・ロックが流行した。音楽的な共通点というよりも、中性的なメイクやきらびやかさ、あるいはレトロやSF をモチーフにした独特のファッションへの注目により分類される。のちのビジュアル系ロックの発端となった。デビッド・ボウイ、T-レックス、ロキシー・ミュージック等が代表的な音楽家。



●音楽文化論の授業は、社会学とアメリカ学を専門にしてこられた先生が担当されています。授業後に個人的な会話を交わした際に、「アメリカは歴史の浅い国であり、そのため歴史研究には相当の厚みがある」との指摘がありました。日本の数分の一の長さのアメリカ史を、数十倍、あるいは数百倍もの研究者たちが掘り下げ、その研究成果が積み上がってきているということなのでしょう。ロック音楽と関わりの深い社会動向について、授業内において事細かな説明の時間を設けることは難しいのですが、そうした知見を踏まえた先生の端的な指摘は、非常に密度の濃いものと感じています。

●今回も「70年代の社会動向」が論じられました。第11回授業リポートの末文とも重複しますが、1970年代のアメリカは、豊かさの終焉がもたらした"内向の時代"と、ボクは考えています。シンガー・ソングライターによる内省的歌詞の音楽のみならず、ノスタルジーやルーツ回帰型のロックも、このトレンドが産み落としたものと思います。

●黒人スタッフのみのレコード会社による音楽制作システム、黒人音楽専門のFM局のほか、黒人音楽専門MTVチャンネルなどの宣伝システムの拡充が下支えとなって黒人音楽市場が拡大する一方で、白人と黒人の共同作業による(あるいは、黒人音楽のソフィスティケーションに、白人が助力した)ロック音楽として70年代後期から流行したAORは、興味深い実態を反映していたと思っています。白人音楽と黒人音楽との間に、重なり合えない分断があると感じられる今日とは違い、かつては白人と黒人とが音楽制作の感性を共にしたクリエイティブの現場があったこと、そうした人種混淆的な共同作業の最終形が、AORだったとの受け止めです。
次回の授業ではAORが論じられます。どのような論点が示されるのか、授業を楽しみにしています。

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