見出し画像

010旧交をあたためる②

こんばんは。
あまりの寒さに今年初めてのエアコンを稼働しました。

前回に続き、友人の話と親鸞聖人の歌について、書いていければと思います。

親鸞聖人は、9歳にして仏教の神髄である無常の心の片鱗を得ていたようですが、私にはまだまだ難しいようです。頭では分かったつもりになっているのですが、どうしても心の奥底で実感を以て受け止めることはできていないようです。

我が身を振り返ってみましても、将来への不安や日々の不平不満ばかりに、目が向かってしまい、明日が無いなんて思って生活することはできませんし、ましてや、今を生きていることに感謝し、すべての生きとし生けるものの幸せを願うなんてことは難しいです。

テレビで目にするニュースは、どうしても実感がわかないので、ただの文字や数値の羅列としか認識できません。

しかし、今回、仲のよい友人の話となると、その出来事は強烈に私の心の奥底に入ってきました。いまの私は、これといった目標や夢も特になく日々を惰性で生きています。それがすべて悪いとは思いません。惰性で生きている自分も真実の自分でありますし、このように思い悩む自分も真実の自分であります。

親鸞聖人のように無常を噛みしめて、求道(ぐどう)の人となり愚直に生きることは難しいかもしれませんが、時には仏教に触れて、無常を思い出して、1日1日を大切に生きていきたいものです。

そんなことを考えながら、妻に「食器洗いは?」と聞かれ、私は「明日の朝やるから寝せてくれ」と返事してしまいました。私の宿業はかなり深いようです。

合掌。南無阿弥陀仏。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?