生と死

僕にとって生とは単純に生きること。
僕にとって死とは単純に死ぬこと。

そんなふうに単純に考えてないです。
もっと深く掘り下げて、深く深く考えています。
そして、感情的に捉えています。

僕にとって生とは。

とてもとても、辛いこと。
なんで、生きてるんだろう。
そんなことを簡単に考えるぐらいに辛いこと。

人のことは心から信用出来ず、僕自身のことも信用出来ない。
自分のことも信用出来ない奴に
他人を信用する資格はない。

と、色々考えてしまう人間が故の辛さ。
ただ、生存本能で生きるのではなく、
同じ人間というだけで相手のことをあれこれ考えて、尊重して傷つけないように"生きるしかない"

"感情"なんてものがあるから…

と常日頃思っています。

何も考えてない。
といっては失礼ですが、
犬や猫のようになりたい。
というのは、一種の人間からの逃避だと考えています。
脳の作り的に、したいことは何でもしてしまう。

人間界で言うと、"自己中心的"な考え。
他動物界では"生存本能"に基づいた考え。

だけど、疲れなさそうでいいなぁ…

辛い

と、いうのが僕にとっての生。


僕にとって死とは。

とてもとても怖いこと。
ただ、とてつもない救い。

どんな事でも許されそうなぐらいの
優しい救いだと思っています。

確かに、残された遺族はどうなんだー
とか色々考えることはあるけれど、
もっともっとそれ以上に辛い現実から逃げられる救い。

"現実逃避"

って簡易的に脳死してると思うんですよ。
生に対して辛くなったり、どうしても逃げたくなった場合にすると思うんですけど、

現実逃避すると
ぽけーっと
現実世界から消えて
各々の世界に入ると思うんです。
その各々の世界は現実とはかけ離れていて、
それはほぼ死と近しい状態なのではないかと思っています。

僕は、15年の人生の中で2回。
大きな現実逃避(自殺)を試みたことがあります。

救いの手を差し伸べてくれる"死"は、冷たくて、それでも優しく感じるんですよね…

小3か小4の時、いじめという現実から逃げるために
包丁を手に取って自分に向ける。
という所まで行きました。
結局生き延びて、いじめを我慢して生活しました。

(21/11/28追記:小学生の頃から関わりのある友人に聞いたところ飛び降り未遂もしていたそうです。なので3回ですね💦)

もうひとつは昨日。
中学校で盛大に裏切られて、
半分人間不信の状態のまま高校に上がって。
家族とも上手くいかないことがあって。
ネットでも人との関わりが増えて。
そんなことを抱えて生きてたら
疲れて死にたくなりました。

昨日試みたのは浴槽で溺死。
簡単そうで難しかったです。

でも、どっちも失敗ですね…
今現在これを書いてるのは未練がある幽霊でも亡霊でもなく、僕ですから。

救い

と、いうのが僕が考える死。


僕にとって生と死とは。


生と死は表裏一体。
なんて言ったりしますけど
僕にとっては割合が違います。

オセロのように生:死=1:1

じゃないんです。

僕の中での生:死は3:7ぐらいです。

これはどっちに傾きたいとかそういう訳ではないのですが。

生きたいか死にたいか
death  or  alive

そんな感じの比率です。

僕が考える生と死は、

生は何者かが与えてしまったもの。
死は自分自身が与えるもの。

だと思っています。

生まれることに僕たち自身の意思はない。
じゃあ、死ぬことぐらい自分で選ぼう。

っていう感じですかね。

ただ、これはあくまで僕の一意見です。

もちろん生:死=7:3
の人もいると思います。

みんな違って
みんないい
なんて綺麗事僕は言いません。

人間はみんな汚いですもん。

でも、みんな違うという意見には賛成できます。

周りの人と顔を比べてみてください。
違いますよね?

討論会でも、開いてみてください。
みんな意見違くないですか?

そういった感じで、違いはあります。
その"個性"を捨てないでください。

僕はたまたま死に偏った人。
あなたは、偏っていないかもしれない。

でもきっと、似た考えの人はいます。
そんな人と出会って、悔いのない人生を遅れることを願っています。

僕が考える生と死。〆

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