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大和魂の定義②ーウィキペディアの反駁

前回述べたことによると、このウィキペディアの記述とはまるで食い違っている。

大和魂という単語を初めて使ったのは『源氏物語』で、諸子百家と仏教は漢才といって、それともっと以前からある日本固有の精神性を判別するのに用いた、ということである。これを「日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」と称する。

この正体は本居宣長によると、「もののあはれ」「はかりごとのないありのままの素直な心」「仏教儒学から離れた日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」

だそうである。

この説はおかしい。

私が大和魂を定義したのは、諸子百家と仏教と、あらゆる日本人の思考習慣を包摂して説明するために①のようにしたのである。

本居宣長のように漢心と和心を分断して、和心だけを抽出するようなことでは、神風特攻隊を実現した般若心経の精神を大和魂とするようなことが、全く説明できない。ありのままの素直な心だったら、神風特攻せずに逃げている、伊弉諾がゾンビの伊弉冉の下から逃げ去ったように。

和心というものは①で説明したように、周縁的で田舎的な、孤立した地理条件が、ある一つの思想概念、すなわち諸子百家と仏教が混合したものに対して、大真面目に向き合う、という精神性にさせたのである。

はっきり言おう、『源氏物語』は漢字や仏教の伝来より遅いのである。そこで紫式部が漢心と和心を分断定義することなどできない。それは紫式部の偏見にしかならない。紫式部の頃にはすでに数多の漢字が導入されており、思考ツールに漢字が含まれている段階で、純粋な和心とは何かを定義すると漢字の意味上のものになり、それは純粋な和心を説明してはいない。漢心による言語で考えているのにどうして純粋な和心が抽出できるだろうか。

例えば、憐れという言語をpoorとかsadlyとか言ったところで違うだろう。「あはれ」という言語が紫式部の頃にあっただけで、漢字、仏教伝来前にそれがあったかどうか定かではない。漢字には憐や哀なども存在する。音質的な原点は他にあったとしても、漢字の意味に原点の方がすり替わった、という可能性は否定できないのだ。

そこで「あはれ」が漢字から来た意味なのか、それとも原音の意味の中にそれがあるのかは、紫式部の時代に判別することなどできない。

「もののあはれ」は和歌に登場する諸行無常とか儚さを思う切ない気持ちである。この概念とて仏教と完全に切り離されたものという証拠などない。諸行無常は仏教の概念であり、万物流転の法則は世界的に認識されていたものだ。日本固有のものではない。

こういう風な事情だから、「仏教儒学から離れた日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」を見分けることなどできない。和魂漢才を平安朝の人間が仕分けることなどできない(聖徳太子とかなら出来ただろう)。

それでは何をもって大和魂と定義するのか?

それは諸子百家と仏教を包含する何かがガラパゴス化した状態、とするしかない。

「はかりごとのないありのままの素直な心」は美徳でも何でもない。それは伊弉諾がゾンビになった伊弉冉から逃げ出したことで見るように、残酷なものである。

私の子供時代、それは「はかりごとのないありのままの素直な心」の時代のはずなのだが、その年代に西方では「ミッキーバリヤー」、東方では「エンガチョ」という概念があった。ミッキーとはミッキーマウスのミッキーではない。忌まわしいという漢字が関係した何かであろう。エンガチョとは縁が切れたという意味である。

当時全国的に子供の間ではあらゆる現象に「呪われている」「呪われていない」を審判する文化があった。すべての物事がこの2極に分割されるのであり、それは善悪のせめぎ合い、ゾロアスター教に淵源があるのではないか、と思われるものだ。

子供たちの審判は、見た目で全てを決めつけるものだった。それは見た目の良い蝶なら呪われておらず、蛾なら呪われている、と言った塩梅だった。それで子供たちは蛾を始めとするあらゆるグロテスクな生物を発見しては、潰すという習慣があった。

これは伊弉諾がゾンビから逃げたのとおなじことだ。

これが本居宣長の言う「素直な心」を遂行した結果なのだ。

それで、無益な殺生をしてはならない、という概念は、アヒンサーと言ってブッダやヴァルダマーナのものである。

不殺生は漢心であり、和心ではない。

不殺生が大和魂に含まれるなら、そう主張したいなら、ウィキペディアの言う漢心の排除という考え方を棄てなければならない。

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