命日の墓参り
今日は母方の祖父の命日。
生前の祖父は不器用で無愛想で頑固な人だった。
同居している本家の家族には雷親父と思われていたように思う。
だが、幼い私の目から見て祖父は、孫を可愛がりたいのに可愛がり方を知らず不器用な接し方をする人だった。
よく檀家になっている寺で和尚さんと話ながらのんびりしていたが、本家の子供である従姉弟たちが寺に来ると墓に供える花を買いに行かせた。
従姉弟たちはそれがとても嫌だったらしく、反抗したり、のらりくらりと言い訳をしては逃れようとするも、最終的には一喝されてお金を握らされ、追い立てるように送り出されていたものだ。
その時、手に握らされていたのが殆どいつも1000円札で、おつりは500円持って帰ってくれば、残りはお駄賃にして良いと言い添えられる。
当時の子供は10円20円のおやつを買うような時代だったし、菊の花束を一対買ったとしても300円程度だった。
そうしてお遣いを終えてお釣りを500円返す時にはそれで私や妹も一緒に食べられるお菓子を買ってこいと言う。そのお釣りも従姉弟たちのお駄賃になっていた。
ああ、この人はこうでもしないと素直におやつを買ってあげたり、お小遣いを渡せたりしないんだろうな、と幼い私は心の中でよく苦笑したものだ。
そんな祖父の墓に参る。
青空が広がり、雲雀がなく声を聞きながら古くなった墓石の前に立った時、少し、いやとても悲しかった。
墓守の本家はお彼岸も命日にもお参りしていないようで、お彼岸に我が家が上げたお花が枯れており、水も腐って酷い臭いがした。
よく見れば、お彼岸に綺麗にした墓の間から草も元気に育っている。
本家は寺から歩いて5分ほどのところにある。
墓守をすることを条件にして本家の土地家屋を相続したのが今の本家なのだが。
ふと、一昨々年、本家の娘が白血病を患った時だけは墓が綺麗にされていたのを思い出した。
もしかすると、私は悲しいのではなく怒っているのかもしれない。
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