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フィギュアスケートに想うこと 2

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銀盤の妖精 ジャネット・リン選手

白黒とはいえ、テレビという文明の利器の映像で、札幌オリンピックという夢の舞台が映し出され、それを鑑賞できることは、極めて美しい幻想世界に足を踏み入れる事になりました!その時映し出されたのがあの銀盤の妖精、ジャネット・リン選手でした!中学2年、13歳、夢中になりました。

その時初めて耳にしました。「フィギュアスケート」という単語を。私はまだ中学2年生でした。極度に内向的な性格なため(当時も今も私のその性格を、誰一人として内向的と認めてくれないのですが(笑))、世の中の様子も判らずにただ鑑賞していただけでした。テレビにかじり付いてジャネット・リン選手の美しい姿と演技に見とれていただけでした。

鑑賞している間は、自分を取り巻く世の中の嫌な事を忘れている事が出来ました。つまり「逃避」できました。音楽は好きでした。好みの音楽を聴いている間だけは「逃避」できていました。それと同等に「逃避」が可能となったのが、フィギュアスケートだったのです。

当時のフィギュアスケート競技は、内容が現在と異なっており、レギュレーションも相当に異なるものでした。まずはその違いを少々お話ししましょう。

1972年当時のフィギュアスケート競技

現在フィギュアスケート競技は、ショートプログラムとフリースケーティングという二つの演技の合計点で順位が決められます。1972年当時は異なっていました。評価項目は二つ。一つはコンパルソリーフィギュアと言い、もう一つがフリースケーティングでした。

フリースケーティングは現在もありますが、このコンパルソリーフィギュアとは、現在のショートプログラムとは全く違い、音楽なしで、氷上に図形を描く競技でした。沈黙の中で選手たちはゆっくりと正確に指定された図形を描くのです。そもそもフィギュアスケートとはその「図形(フィギュア)」を描く競技だから、フィギュアスケートと呼ばれたのです。

さて、その図形を描くコンパルソリーフィギュア、略してコンパルといったりもしますが、この競技、ジャネット・リン選手は不得意でした。ジャネット・リン選手の得意なのは、フリースケーティングでした。もしもフリースケーティングだけで採点されていたら、優勝して金メダルを獲得したのは、ジャネット・リン選手だったに違いありません。

結果は、コンパルの得点が響いて、ジャネット・リン選手は3位、銅メダルでした。その後、コンパルソリーフィギュアはフィギュアスケートから消滅し、ショートプログラムという新たな項目が加わることになったのです。

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オリンピックフィギュアスケート2連覇の、  ディック・バトン氏は言った

バトン氏は言いました。フィギュアスケートは見てくれる方々に楽しんでもらえなくてはいけない。演技が、お客さんにとっての「劇場」になっていなくてはならない。私もそう努めてきた。それができている選手は、ジャネット・リン選手と羽生結弦選手だ、と。

私の中では、かつての札幌オリンピックのジャネット・リン選手と、今回の北京オリンピックでの羽生選手が、重なります。ジャネット・リン選手は、3位の銅メダルでありながら1位のシューバ選手よりはるかに有名になり、日本のテレビCМにまで出演するような状況でした。

今回の羽生選手も、4位メダリストになれなかったにも拘わらず、ネットのニュースでは、男子フィギュアのメダリストの話題など一つも見つかりません。ニュースになっているのは、羽生選手だけです。それも毎日一つか、日によっては二つ以上のニュース項目として、アップされています。

そう、ディック・バトン氏の言ったとおりになっているのです。フィギュアスケートは「劇場でなければならない」のです。私はフィギュアスケートは「芸術」だと思っていますが、バトン氏の「劇場」という表現と私の感じる「芸術」という表現は、同じことを言い表そうとしているものと思います。

誰よりもそれを実現しているのは、ジャネット・リン選手であり、羽生結弦選手なのです。だから1位の選手やメダリストなどより、はるかにはるかに、多くの人の心をとらえ、好かれ、話題になっているのです。

フィギュアスケートのあるべき姿を考える

この項目で言おうとしているのは、現在の採点方法への提言です。フィギュアスケートは昔から、人々の心をとらえて離さない選手がいました。ですがその選手たちは、必ずしも1位、2位、3位のメダリストであった、というワケではありません。

メダリストでなくとも人々の心を捉えて離さない素晴らしいスケーターは、たくさんいました。記憶に新しい例では、ソチオリンピックでの、浅田真央選手ですね。あのソチのフリーは伝説となりロシアの精鋭スケーターに「この真央の演技を見て泣かない人がいるのかしら」とまで言わしめました。

何がいったい、人々の心を捉えるのでしょうか。人々に求められ、話題になり続けるスケーターが、必ずしもメダリストではないという事実は、現在のフィギュアの採点基準が、人々の心を捉える事とシンクロしていない、という事です。人々を感動させているのは、採点基準によって得た点数ではないという事です。

という事は・・・

今日はここまでにします。次回は今日の続きです。つまりレギュレーションに問題がありはしないか、という疑問と提言になります。

ちなみに今日の「春よ来い」(私のピアノ演奏・清塚信也編曲バージョン)の再生回数は、22時40分時点で844回でした。一晩で132回増えました!聴いてくださった方々、ありがとうございます!

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