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あえていま田中角栄を読む②司馬遼太郎の喝

「竜馬がゆく」「国盗り物語」「燃えよ剣」「翔ぶが如く」ーー。戦国時代や幕末期のひとたちをいきいきと描き、日本とは何かを問いつづけた国民的作家、司馬遼太郎。

きょうは、かれと角栄の関わりをテーマにしたい。

「土地と日本人 対談集 司馬遼太郎」(中公文庫)という1980年に出版された古い本が筆者の手元にある。土地をテーマに司馬さんが幅広い分野の専門家と語り合うという内容だ。

筆者は司馬作品をすべて読破した司馬ファンだ。司馬さんの自宅(記念館として一般開放)にも足を運んだほどだ。

そんな筆者からみて、この本は異色だと断言できる。なぜなら、ふだんはユーモラスな人柄がにじみでる文章を書く司馬さんが、この本にかぎって怒りの感情をあらわにしているからだ。

何に怒っているのか。

司馬の怒り

司馬さんのことばを紹介する。

「ぼくはいわゆる河内の国(注・現在の大阪府東部)に住んでいるわけです。ぼくは中河内ですが、金剛山麓の南河内というところは、大和(注・現在の奈良県)に似て景色のいいところなんです。いまから12、13年前(注・この発言時は1975年)までは、そのあたりの丘陵地帯を歩いているだけで実にいい感じのする田園だった。いまはそこがいちばん悪くなっています。ゴミの山です。つまり自分の農地をだれかに売ってしまう。買うのは投機業者で、投機業者でなくて企業家であっても、土地の値上がり待ちを考えているかぎりは投機業者です。値上がり待ちで土地を遊ばせておく。ゴミの山になってしまう。農業にもいろんな問題があると思うんだけれども、とにかくこの国において何をどうする、ということをどう考えてもすべて枝葉です」

「ぼくの家の近所の百姓というのは、坪40万円ぐらいのところで大根をつくっている。いつか土地が高い値で売れると思いつつ、退屈しのぎに大根を作っている。荒廃もいいところです。資本主義社会と合理主義というのは不離のものだけど、そこには合理主義のカケラもない。これでは資本主義社会では決してありません。大根1本作るために投じる原価が、大根の値段を決定するわけだが、そういうものもない。上代以来、人間の精神を支えてきた生産の喜びもない。どうしようもないですね」

「農地」と「住宅・工場」はコインの裏と表の関係にある。司馬さんが上の発言をした昭和の中ごろは、まるでオセロのように「農地」がつぎつぎと「住宅・工場」に変えていた。

ちょうど、角栄の「日本列島改造論」が世にでた時期だ。角栄がつくりだした土地投機ブームが、日本の原風景や生活者の意識を根底から変えてしまったと司馬さんは怒っているわけだ。

日本を歩いたジャーナリスト出身の司馬さんらしい、鋭い指摘だとおもう。

「わたしを絶望させたのは土建屋の親玉が内閣総理大臣についたことだ」

司馬さんはこうもいった。徹頭徹尾、角栄を嫌った。

角栄を評価する場合、こういう見方があることは頭の片隅にいれておいた方がいいだろう。

角栄とハコモノ

角栄は25歳のとき、建設会社「田中土建工業」を創業した。29歳で国会議員なって以降は「道路整備財源のためのガソリン税の採用」「河川法改正」「電源開発促進法」などおもに土木・建設畑で辣腕をふるってきた。

道路、ダム、上下水道、工場、住宅、ビルなどさまざまな社会資本(ハコモノ)の整備が国民1人1人の幸せにつながると、かたくなに信じていた。

「日本列島改造論」を手にとってみても、こうしたハコモノを整備することが日本の発展につながるという視点が前面にでている。

あえて強調しておくが、この考え方がけっして間違っていたわけではない。当時はハコモノの整備が諸外国より遅れていた。便利な世の中になったのはまぎれもなく角栄の功績だ。

かれの最大の誤りをあげるとすると、”やりすぎた”ということだろう。熱々のフライパンをさらに火であぶる「愚」を犯してしまった。

かつて角栄はこんな演説をした。

「三国峠(筆者注:新潟と群馬の県境の峠)をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」

脈々と受け継がれてきた風景や意識に価値を見出す司馬さんと、ハコモノで社会を変えてしまおうとする角栄。両者の埋めようがない価値観の違いが筆者にはとてつもなく面白い。

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