あらためまして、自己紹介
noteを始めて2ヶ月たちました。
そういえば自分の自己紹介の記事を書いていないなあと思ったので、今回まとめてみたいと思います。
noteでの名前は、makotene(まこてね)と申します。
1978年生まれ。かに座、血液型はO型、40代の女性です。
生い立ち
・学生時代
父、母、わたし、弟の4人家族です。
九州の片田舎の小・中・高校を卒業の後、県内の大学で日本史を専攻しました。
日本史も好きだったけど、心理学や教育関係授業も熱心に学びました。親からは、職業に直結しそうな分野を専攻したらと言われたけれど(英語とか)、興味のないことは学べないと思って、そのとき一番好きだった日本史を専攻することに。でも、このあと就職先がなくて困るんだよなあ・・・。
・就職
地元の公務員か教員になることを目指してみたけれど、大変な競争倍率にひるみ、また試験対策に本気にもなれず、志望先を民間企業へ切り替え。唯一内定をもらった地元のメガネの販売店に就職しました。苦手な接客業を8年ほど頑張り、もう限界だと感じて退職。
その後は縁のあった人材派遣会社で経理事務を2年ほど。まいにち深夜まで残業する日々。そのころ友人の紹介で夫と出会い、結婚。妊娠を機に人材派遣会社を退職。
出産後、息子が1歳の頃から事務職のパート(週3日の7時間)勤務。心療内科関連のカウンセリングルームで運営のお手伝いをする仕事で、やりがいがあって楽しかったけれど、幅広い範囲の業務を無茶ぶりされて、ずっと追い立てられるように仕事をしていたようにも思う。
息子は保育園に通っており、でも、だれにも頼れなくて、保育園のお迎え、日常の家事、習い事の送迎、息子の遊び相手、ほとんどをひとりで、しかも全力投球していた。
夫はとっても協力的な人なのだけど、遠方まで通勤しており、あさ出勤した後は帰宅するまでほとんど頼れない環境。(保育園の送迎、ひとりでこなすの本当にキツかったなあ)
実母は遠方におり気軽に迎えを頼めるような人もいなくて、わたしが持てる限りいっぱいいっぱいに背負っていた。そのうえに限界いっぱいまで詰め込まれる仕事。週三日の勤務とはいえ、日々がもういっぱいいっぱいだった。息子が小2のころまで働いたけれど、コロナを機に、もう無理だと限界を感じ退職。
・専業主婦
主婦生活のはじめの年は、小学校のPTA役員をすることに。コロナ禍初期でイレギュラーなことばかり起こるなか、まあ、がんばった3年間。このころに洋裁・刺繍と出会う。
きょうのところは、ここまでにします。
また折をみてこの記事を更新していきたいと思っています。
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