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囲碁との出会いと、私の囲碁に対する考えかた

私は中学に入ってから、数学の先生に勧誘されて
囲碁同好会に入りました。
「同好会」と言っても顧問(?)の先生のほうが生徒よりも多い感じで、
囲碁好きの先生がたが放課後、理科室で囲碁を打っているところにまぜて頂いている感じでした。
数学の先生、国語の先生、歴史の先生、いろいろな先生がたに、
とても可愛がって頂きました。

それから少し経って『ヒカルの夢』が登場して世間でも話題になりましたが、私は途中までしか読んでいません。
決しておもしろくなかった訳ではなく、ADHD体質のためか興味の矛先があちこちに飛び散ってしまい、
そもそも読了できた漫画は殆どありません(苦笑)。

私の囲碁経験は、実質的に中学の間だけでした。
高校に入ってからは、囲碁を打つ機会もなくなってしまい、身近に囲碁を打てる人があまり居なかったこともあって、
中学時代に一緒に囲碁を打っていた同級生と
時間が合えばたまに打つ、くらいだった気がします。

中学の頃、先生と打つ囲碁の時間は、不思議な時間でした。
理科室にいるのに、基盤の上に全神経が集中していて、
まるで異空間のような感じでした。
あっという間に2時間くらい経ってしまい、
終了後も頭の中でぐるぐる反芻していました。
白石も黒石だけの世界が、一手、一手、進んでいくにつれて大きく変化していくさまが非常に新鮮でした。

今思うと、囲碁は数学的でもありアート的でもある、と感じます。

昨今のボードゲームブーム自体、私は歓迎すべき状況だと思って
おります。
その中でも囲碁は、中国に始まり4000年もの間、
東洋で受け継がれてきた歴史的・文化的な古典的ボードゲームです。
中国でのルールと日本のルールに若干の違いがあり、
プロ同士の対戦には少なからず影響しているとも聞きますが、
基本となる考えかたや概念は非常にシンプルで、シンプルだからこそ奥が深く、とても面白いので、
巷の日本であまり身近でなくなっている現状がとても残念です。

抹茶も「茶道」にこだわらなければ、茶筅と茶碗が1つずつあるだけで誰でも楽しむことができます。
囲碁も、白石と、黒石、あと碁盤があれば、誰でも遊べます。

伝統的で、かつ健康的な文化が身近でなくなってきている。
一方で、私は、抹茶の愉しさも囲碁の愉しさも知っている。私なりに感じている。
もう、これは私なりに、ご縁のある皆様に都度お伝えしないわけにはいかない、・・・というのが、私の囲碁のスタンスです。

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