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“消費”から“投資”へ(但し「投資信託」は投資とは呼ばない)

資本主義経済の世の中では、
幸福度を測る指標として、支出における“消費”と“投資”の割合を見るのが
妥当なのかもしれない。

支出の内訳が“消費”ばかりである状態よりも、
“投資”が占める割合が大きくなればなるほど幸せだと言えそうだ。
但し、ここで言う“消費”や“投資”は、
あくまでもマインドセットとしての“消費”や“投資”を意味することとする。
つまり、
側から見れば“消費”しているように見えても、本人にとって“投資”であれば、
それは“投資”であると見なす。
“消費”についても同じ。
本人にとって“消費”であれば、それは“消費”であると見なす。

支出における“投資”の占める割合が多い状態とは、
投資する価値が感じられるものが存在し、実際にその対象に投資している状態。
もちろん、これだけが幸せのすべてだとは思わないが、
“消費”だけに支出を充てているような状態に比べれば、
少なくとも心理的には豊かな暮らしだろうことは想像に難くない。
多少なりとも納得しているからこそ、その対象に“投資”するのだろうから。
生きるために仕方なく、ただ“消費”しているのとは意味合いが全然違ってくる。

そのような意味合いで、“消費”を減らし、“投資”を増やしていこう。
ちなみに「投資信託」は、
“投資”の名を冠した商品であり、あくまでも“消費”の対象である
と私は思っている。
“投資”は、投機的な見返りを求めず、その投資をすることによる効果そのものから
自然に幸福を感じられるような事柄を指す。
少なくとも私は、そのような支出行為のみに絞って“投資”と呼ぶことにしたい。

その上で、
“消費”を減らし、“投資”を増やしていきたい。
これはマインドセットの問題。
だから、
もし同じことをしていても“消費”を減らして“投資”を増やすことは充分可能だし、
そのような方法でも、もちろん構わないと思う。

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