「君たちはどう生きるか」1ヵ月寝かせてしまった感想

今日は休日出勤だった。
人の少ないオフィスで、ひたすら自分の作業に没頭できるのは休日のいいところかもしれない。

退勤したあと、映画館に急いだ。

公開されるまで目立つ広告も出さず、情報が閉ざされていた新作ジブリ映画「君たちはどう生きるか」を観た。

公開直前にツイッターの中で大喜利が行われているのを見て、
せっかく何も知らない状態なのだから、ネタバレを踏む前に知らないまま観に行こう、と急いでチケットを取った。


この記事には作品の内容についての記述が含まれるので、ネタバレされたくない人はご自身で観てから読んでね。
あまり文章もまとまってないと思うけど、ご容赦願いたい。





観終わったあとはしばらく放心状態だった。

というか、これを書いている今もそうだ。

何も知らない状態から受け止めきれる情報量ではなかった。
言語化ができない。
いろんな景色、いろんな感情が心に溜まっていく感覚がある。
とてもまとめられないけれど、整理をするために、今のこの状態をそのまま記録しておきたいと思う。


観る前に私が知っていたのは、映画のタイトルと、鳥がどんと載ったキービジュアルと、「主題歌を米津玄師が担当した」ということだけだった。

私は米津玄師のファンであり、米津さんが曲をつくったというだけで観に行くことは確定するわけだけど、え、ジブリ映画?やばない?
ジブリ映画の主題歌を米津さんが?なんて時代を生きているんだ。
これからどんな内容の映画が始まるのかわからない。最後に流れるであろう米津さんの曲を聴くとき、自分がどんな感情なのかもわからない。とてもワクワクしていた。


「君たちはどう生きるか」。
タイトルからして結構重たいテーマを扱うのかなあという想像をする。

物語は戦時中、主人公・眞人の母が火事で亡くなるシーンから始まる。
…もう辛い。

母が亡くなったあと、眞人は父と一緒に東京を出ることになるが、
そこで二人を出迎えてくれるのが、眞人の母の妹、ナツコ。
眞人の次の母になる女性だ。

その時代ではよくあることなんだろうか、再婚相手が前妻の親族って。
亡くなった母親によく似た別の女性と暮らすの結構しんどくないか。

屋敷に向かう人力車の中で、ナツコが自分のお腹に眞人の手を当てさせるシーンがある。
いや、「赤ちゃんがいるの」じゃないって。気持ちの整理つかんって。そらきついて。眞人もあんな顔なるて。

私がナレーションを聞き間違えていなければ、二人が東京を出て暮らすのは、母が亡くなった翌年の出来事だ。
亡くなってすぐに父親はナツコと恋仲になったということ。しかもお子が。お腹に。きっつい。

この父親、母のことを愛していたんじゃなくて綺麗な容姿に惹かれただけなんか?とか、ナツコも内心姉や眞人のことを良く思ってないんちゃう?とか、とにかくこの二人に不信感を覚えた。
そのあと、眞人が夜に部屋を出て考え事をしているとき、帰ってきた父親とナツコが玄関でイチャイチャするところを目撃する。
きtttttttっつい!!!!!!!

そもそも父親の性格が好かん。
軍事にかかわる工場に勤めるえらい人で、きっと金銭面では苦労していないんだろう。権力があるが故の自信たっぷりの振る舞い。腹立つ。
結果として父親も悪い人ではないことは分かるんだけど、眞人の母への想いと、父親の想いには差があるように思えてならない。

その後眞人は、行方不明になったナツコを探して異世界に飛び込むことになるが、異世界の中でナツコのことを「父さんの好きな人」と説明する。
この言葉にキュッとなった。
眞人自身はナツコに対してまだ心を許せていないだろうに、いなくなってほしいと思っているのに、
父さんの好きな人だから、連れ戻しにいくんだなあと。
眞人の、父親を尊敬し尊重する気持ちが尊いなと思った。




すみません、ここまで書いてから余裕で1か月半ぐらい経過しました。

ナツコと父親への感情だけで燃え尽きてもうとるがな。
さすがにその時と同じ温度で感想書くの無理や。まだ異世界パートのとこ全然書けてないのに。

比重が完全におかしいけど、思ったことをもうすこし完結にあれこれ書く。


キービジュアルになっている鳥、アオサギ。
全然思っていた登場の仕方と違った。最初から最後まで違った。そして思ったよりも早く出てきて、思ったよりガッツリ関わってくる。
冒頭からだいぶ怖いというか、眞人のことめちゃくちゃ煽ってくるし、声ダミダミだし、醜く不気味だった。

眞人はアオサギ(サギ男)のことを友達だと言ったけど、ほんまにか?
なんだかんだ旅の途中で協力してくれるなどしていたけど、憎めないやつだなとは全然思わない。憎い。余裕で。あのくちばしの穴グリグリしたろか。

そして、そんなアオサギの声を担当しているのが菅田将暉という事実。
2回観に行ったけど全く結びつかない。あの鳥と菅田将暉が。すげー。

異世界に落ちる前、大量の蛙に眞人が覆われるシーンがある。足元では大量の鯉がこっちを向いて呼び掛けている。
そういう、大量の生き物に襲い掛かられるような描写が何度もあった。わりとしっかり怖かった。

大量って怖いな。自分ひとりに対して不特定多数が襲い掛かってくる状況。わざと何度もそういう描写が入れられているのだろうと思う。考察とかはできない。一人で悩んで葛藤しているときの感覚が可視化されたものなんだろうか。とりあえず怖かった。

異世界には鳥がめちゃくちゃいる。それぞれの鳥が誰かしらをイメージして描かれているのだろうな。どれもこれも大群だ。インコがとんでもなく怖い。多いし怖い。かわいくない。

唯一かわいい大群が、ワラワラ。癒し。握りやすい素材のマスコットが欲しい。
ワラワラは地上で人として生まれるそうだ。私も25年ぐらい前はああやってふわふわ浮いてたんだな。

眞人がマグロの解体ショーをするシーン(そんなシーンではない)、内臓みたいなやつがぶわあって眞人の顔に張り付くところで結構ゾッとした。

海の世界では、全体的に生命を感じる表現や描写が多かったように思う。解体ショーのところは、魚の腹に刃を入れるところで帝王切開を連想した。
ナツコがその世界に入ったのも、(自分の意思だったかはわからないけれど、)子供を出産するためだし。

ヒミという少女。異世界で出会う、眞人の母の若い姿。
ここらへんの世界線の在り方は分かりきっていない。火を操ることができるのは、火事で亡くなったからなのだろうか。そこの因果は逆なのだろうか。
すてきなお家で暮らしていたな。かわいいな。

クライマックスで、積み木をインコ大王がズタズタにすることで異世界が崩れるが、そんなんして大丈夫なん!?という気持ちのまま地球儀が流れて、映画が終わってしまった。

現実世界のものではない塔を境として、海の世界、眞人がいた世界、そのほかいろんな世界がつながっているのだと思うが、その世界が崩壊することでいろいろ支障とかあるんじゃないん?

ワラワラが人になる存在なのだとしたらその子たち全滅じゃない?生命がそれぞれの世界に生まれなくなるってこと?

と混乱していたけど、最後の最後でナツコの子は無事に生まれて4人家族になっていることが分かるので、眞人たちの生活は続いていくみたいだ。そこらへんの解釈がもやっとしたままなので気になる。

そして最後に聴く地球儀はよかった。
もう少し君生きへの解釈を深めれば、さらに味がしてくるのだろうなとも思った。


2時間のなかで本当にいろんなことがあってどんどんおいて行かれる感覚だった。分かるというより感じるに近い。

正直疑問に思うところはあれこれあったけれども、
当作品は宮崎駿監督の自伝的な要素が強い作品であるようなので、考察や解釈を進めていくために必要な背景の知識があるのだと思った。

タイトルの元となっている小説も読んだことがないので、これを機に読んでみたいと思う。


公開前の情報が制限されていたことで、予備知識のない状態で作品を観るという経験ができた。それが楽しかった。
私の浅い頭では言語化できることは少ないけれど、それでも自分で考えるということが大事なことだったと感じている。

自分で作品を観たあと、好きなネットラジオで君生きの感想を話している回を聴いた。
同じものを観たはずなのに、私では分からない、見えない解釈がたくさん飛び出してきて驚いた。
そして、私が作れなかった言葉が形になっていて、共感して笑えて、驚いた。
知る、経験する、アウトプットする、このサイクルの量がちげーんだなー。

何年か後にまたこの作品を見たとき、私の中でも勝手に何か感じれるものが増えるかもしれない。
そのときこの記事を見返して、違い探しができたらいいなと思う。

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,247件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?