何かを残したい気持ち

こんばんは。たけのと申します。

SNSで素敵な文章を見かけたり、動画で面白い言い回しをしたりする人を見かけると、憧れの気持ちが沸き上がります。

最近私の中で好きが加速しているWEBライターさんが、noteの有料コンテンツとして毎日文章を投稿されていることを知りました。

言葉を作ることにそれだけの時間を使っていること、素敵だと思いました。
だからこそ、たくさんの人が良いと感じる言葉が出せるのだなあと。経験値がたっぷり溜まっているのだと。

私は飽きっぽく、自由時間を有意義に使う意識が薄いため、大抵のことは長続きしません。
(配信はなんだかんだで2年半以上やっているけれど)

だから、ゲリラにはなるけれども、もう少しこのnoteを動かして、気楽に文章を書き溜めていきたいと思います。
ちなみにだいぶ前にも同じようなことをここに書いて、それっきり飽きていましたけどね。ええ。

ここ数日、低気圧と仕事でのストレスで落ち込み気味でした。
そんなときはいろんなことをぐるぐる考えます。

考える中で、これについてはnoteに書こうかなと思ったことがありました。

でももう思い出せません。

思いつめたときに考えていることなんて、その程度なんだなと思います。
ただ、何かを残したいと思った、そのことだけを覚えています。


私はよくツイッターを見ています。
落ち込んでいるときに見るタイムラインでは、誰かが殺されたとか、演説中に爆発物を投げられたとか、そういう内容ばかりが目につく。

その度に感じるのは、「人はいつでも死んでしまう」ということです。

通勤・通学していたら、"無敵な人"と乗り合わせてぶっ刺されるかもしれない。
大きな自然災害が発生して、ガレキに埋もれちゃうかもしれない。
どこかの国が何かをぶっ飛ばして、それが近くで光って降り注ぐかもしれない。
突然脳がバグって倒れるかもしれない。

私が今を生きているのはたまたまなんだと、ぼんやり思います。
そして、いつでもこの考えを心の中に座らせています。


推しは推せるときに推せ。

活動者はいつまでも活動し続けてくれるわけではないから。
と同時に、自分もいつまでも推し続けられるわけではないから。

推しだけでなくて、家族、友人、恋人、仲良くしてくれる皆さんへ

今伝えることが大事。感じている価値を、救ってくれたお礼を、今送ることが大事。
矛盾している気もするけれど、
いつ死んでもいいように、私はいつでも生き急いでいたいと思うのです。

私がいなくなったとき、それをインターネットで出会った皆さんに知らせることができるのか分からないけれど、
私が残した配信の履歴や、SNSの投稿や、この文章が、
皆さんの人生のすみっこにいてくれたら最高だなあと思っています。

ということで、いつもありがとうございます。
もっと豊かな表現ができるように、深みある人間になっていくゾ~!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?