見出し画像

28歳、29歳。

29歳になった。

誕生日だけは誰のためでもなく、自分のために文章を書こうと思っている。1年前のnoteもエモいが、今日のnoteも多分エモい。

「中小企業で仕事に勤しむ東京都在住29歳独身女性」の生態を知れるという意味では、もしかすると少し役に立てるかもしれない。

画像1

「29歳って、なんかギリギリな感じがエロいな」

と思えるぐらいにはこの年齢を楽しめている。ニキビの治りは遅くなったし白髪は出てきたし丈の短いスカートはハマらなくなったが、20代前半にまるで似合わなかった濃い口紅やウェットな黒髪がしっくりくるようになった。

経済的な余裕もようやく出てきて、自分で稼いだお金で自分の暮らしをよりよくするための投資ができるようになった。ちょっといいジュエリーも、誰かにプレゼントされることを期待するのではなく自分で買えるようになった。

画像7

28歳は、自分で言うのもアレだが、マリオカートでいうスターをGETした状態でキラキラと駆け抜いていくような感覚があった。失敗や反省はもちろんたくさんあるが、総じてすばらしいチャンスに恵まれた。営業せずとも仕事は増えていった。自分という存在がみるみると加速していくのを感じた。

正直なところ、マーケティング関連記事の書き手としてここまで価値を見出してもらえるとは全く思っていなかった。完全な想定外だ。

しかし振り返ってみると、自分を構成する小さな小さなピースがパチパチッとハマる音が聞こえてくるようだった。その昔、生徒会や学生団体のリーダーとして臆せず他人とコミュニケーションをとってきたこと、ありのままの自分を綴るブログをよく書いていたこと、営業として前のめりにアポイントをとってきたこと。……なるほど、こうしてつながっていくんだなと感動した。

画像8

30代を目前にして、大手企業のマネージャーに昇進したり家庭を築いたりする同級生はさらに増えた。小さな会社でドタバタと働いてきた私はリアルに肩書きも貯金もなかったので、ボーナスをもらいガンガン旅行に出かける知人たちを羨ましく思ったこともある。

それでも、私は自分で選んだキャリアを正解にするしかないのだ。そうやって目の前の仕事を一生懸命やってきた。28歳にしてようやく結果がついてきたと思えるようになった。いままで積み上げてきたキャリアをいっそう肯定できるようになった。そう思えるのは、とても幸せなことだよね。

画像2

上京してまもなく7年、11月末に初めて引っ越しをした。小竹向原という静かな住宅街から、勤務先の近くにやってきた。

新しい部屋は窓から大きく雄大な隅田川が見える。もともと海の近くで育ったせいか、水面の揺らぎを見るとどこか気持ちが落ち着く。自転車を走らせるとステキなパン屋やコーヒーショップがたくさんあり、私はますます自分で自分のご機嫌をとれるようになった。

リモートワーク下で隣人と騒音トラブルがあり急遽仕方なく飛び出してきたのだが、なぜ私はもっと早く引っ越さなかったんだろうと反省した。隣人さん、ありがとう。迷惑かけてごめんなさい。

6年半以上住んだ街にはまったく名残惜しさがなく、その諸行無常な感じもまた趣深い。どんなに好きなものも大事なものも、変わっていく。だからいま目の前にある大事なものを、大事にしなきゃいけないんだよ。

画像8

私はわりと淡々としている。周りからもそう評価される。自分の感情がマイナスに触れるのを極端に嫌うので、他人に期待をしない、自分で自分のご機嫌をとるなど、ある程度自分の心をコントロールする術を身につけている。

先日「どうやってその域に達したの?」という問いをもらい考えた結果、過去好きになった人たちに散々振り回されてきたからだと気づいた。1人心の中で爆笑した。恋愛の影響かよ。ありがとう、おかげで強くなりました。

画像8

誕生日はPCを家に置き、お財布とスマホとKindleだけポケットに詰め込んで、自分の好きなように過ごした。春のような日だった。自分へのプレゼントにはカメラを買った。仕事用だが、せっかくなのでプライベートでも持ち歩こうと思う。

欲しいものを買い、好きなものを食べ、気の合う人たちと過ごし、眠くなったら眠る。最近は深夜に間接照明に切り替えアロマをたき、お酒を飲みながらぼんやり過ごす時間がたまらなく好きだ。

あ〜楽だなぁ。

同時に、楽であることがとてもこわい。

画像3

私がずっと忘れられない記事の1つに、ハヤカワ五味さんの「そのパンドラの箱は、誰が開けるのか」(有料)がある。「この人のここはよくないが指摘するのは大変、だからほっとこう」とパンドラの箱がパスされ続ける……といった内容が含まれているnoteだ。

これを読み、ぞっとした。思い当たる節あったのだ。目の前のパンドラの箱を開けることなくそっとパスすることがあるし、私自身のパンドラの箱もまた、きっと開けられていない。

パンドラの箱を開けられない人生は楽かもしれないが、私は心からイヤだと思った。そんな人生さみしいじゃないか。だから楽なことがこわいのだ。

画像8

自分が小さなサーキットでしか走っていないことも、そこまでビジネスに貢献できていないことも、自分なりによく理解している。自分1人でできることはあまりに小さく、俗人的だ。そしてコントローラブルで楽な人生の先に成長はない。

この1年は、自分1人では臨めない大きな成果を出したい。防御線をはった心が揺さぶられるような、そんなチャレンジをしなきゃいけない。

そうしていまよりももっと強く、しなやかな人間になりたい。

29歳の私も、どうぞよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?