オーケストラと私①~大学オケに入るまで

小学生時代

オーケストラの演奏を初めて聞いたのは、確か地元の小学校の音楽教室です。私の地元の県にはプロのオーケストラがあり(最近では某世界的ホルン奏者が指揮をしたりしています)、僻地中の僻地である私の街に来て、多分「ハンガリー舞曲」や「新世界より」などを演奏してくれたのだと思います。「思います」と書いたのは、実のところあまりよく覚えていないからで、その後音楽に対する興味が育ったかというとあまりそういうこともありませんでした。なぜから音楽の授業のリコーダーがとても苦手だったからです。音楽の成績はいつも2か3…学校の鼓笛隊でも自分はベルリラがやりたかったのにシンバルしかやらせてもらえなくて苦痛だったなあ…

中学時代

そんな私ですが、中学校ではなぜか吹奏楽部に入部しました(楽器はユーフォニアム)。理由はとても消極的で、「体育会的上下関係がキライで運動部に入りたくなかったから」です。しかし私のそんな消極的な考えは甘かった。顧問の先生も先輩もめちゃくちゃ厳しくて、ノリがほとんど運動部でした(笑)。1年の夏くらいには「もうやめようかなあ」とまで思っていましたが、夏休みになぜか顧問のT先生がベートーヴェンの「運命」のスコアとCDを貸してくれたのでした。大してマジメな生徒でもない私になぜ先生が?と思いましたが、せっかくヒマだし聴いてみたところ、子供心に「これはなかなか凄いものなのではないか」と感じました。興味を持った私は部室にあった過去の吹奏楽コンクールの課題曲のカセットやスコアを借りては「どうやったらこんな複雑な楽譜が書けるのかなあ」と読み耽るようになりました。まあ、これらはオーケストラの曲ではなかったのですが。

転機は中学2年生の時です。サックスをやっていた友人が、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のCDを「これ聞いてみて」と貸してくれたのでした。家で聞いてみたら、これがあまりにもすさまじい曲で衝撃を受けました。そのあともこの友人はラヴェルやレスピーギなんかのCDを貸してくれて、オーケストラの音楽は凄いんだなあとちょっとずつハマっていき、日曜夜の「N響アワー」も見るようになりました。しかし近現代のトランペットが大活躍するような派手な曲が好きだった私は、まだ古典派音楽やバロック音楽では眠りこけてしまう不届き者(笑)でした。当時やっていた吹奏楽も派手な曲が多かったからというのもありますね。チェロを習ってバッハの無伴奏なんかを弾いていたら、全く違った趣味嗜好になっていたかもしれません。

高校時代

高校時代も吹奏楽でユーフォニアムを吹き続けました。進学校だったので2年生の秋には志望大学について考え始めるのですが、僻地中の僻地で育った私はどうせなら都会の大学に行ってみたいなあと考えて勉強を始めました。3年生の夏のコンクールが終わると部活は引退です。顧問の先生から「大学行ったら楽器はどうするの?」と聞かれ、「楽器は続けようと思ってます」と答えました。そうすると先生が「あの大学に行くなら絶対オーケストラがいいよ!」と強く勧めてくれたのです。しかしオーケストラの金管にはユーフォニアムの定席というのはありません(ホルストの「惑星」などでたまに使われる程度)。先生に相談してみると、「マウスピースが同じくらいの大きさだからトロンボーンがいいんじゃないいか」とのこと。確かに、マウスピースも音域も同じくらいです。

こうして「大学に入ったらオーケストラでトロンボーンを吹こう!」と、学業はどうしたというツッコミを入れられそうな不純な動機で受験勉強を継続し、何とか第一志望に合格することができました。合格発表の日はたくさんのサークルが勧誘のテントを張って合格者を待ち構えているわけですが、私は真っ先にオーケストラのテントに向かい、「入団したいです!」と先走り気味に仮手続きを行い、現在に至るオーケストラ活動が始まったのでした。



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