【写真人】須藤広幸さん😭悲しみの先の笑顔は美しい
トーテンポールがおる公園のところにあるから、トーテンポールギャラリーという名前らしい。
トーテンポールがある公園に住むおじさんが教えてくれた。この文書を書きながら、このギャラリーを訪れたのは2回目かもしれない。
このトーテンポールギャラリーで個展を開催されている須藤広幸さんを訪ねた。
DMから甘酸っぱい写真を想像していたのだけど、過激に超甘く超酸っぱい写真だった。
外から中が丸見えのギャラリーだけに、入る前から悲しみのオーラーがこぼれでる空間に、鈍感な私でも「若くして亡くなった愛妻の追悼写真展かも」と覚悟して入った。
入ってぐるぐると一通りみた私は、「もっと大きな悲しみが埋まっているかも」とビビって、トイレに逃げ込んだ。そして、深呼吸。
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小川駕領です。
私たちは感情の生き物です。写真を通して感情を伝えることの何が悪いのでしょ。
実は、私、須藤さんの今回の写真を消化するのに時間がかかりました。ずっと、頭の片隅に居続けていたのです。
私自身、『写真=表現=手段』ということに囚われていた気がします。そんなことを須藤さんの写真展は私に気づかせてくれました。
悲しみに満ち満ちていた写真。意図的に悲しい感情を増幅させる展示がされていた須藤さんの写真展。
例え話、お腹が痛い様子の写真を並べられても、かわいそうとか、大丈夫❓くらいの感情しか持てない。そればかりか、その背景などに目を向けるのは難しいのではないだろうか❓
私自身、須藤さんの写真に対して、当初は悲しみの理由だけを探してしまった。
しかし、次第に須藤さんの写真展の意図が見えてきた。
この写真展は、須藤さんのライフ写真なのだ。悲しみという点だけを掘り下げれば、ライフイベント写真かもしれない。
しかし、生活の99%以上は同じような時間の繰り返し。彼はその中の悲しみに満ち溢れた時間の中にも、写真と向き合う自分自身を置き続け、シャッターを切り続けた。
それは、決して簡単な作業じゃないだろう。
最後に彼が見せてくれた笑顔が貫き通した誇らしい顔に見えてきた。
なんと独りよがりな文章だと笑われるでしょう。でも、それが私です。ほかの歩き方はできません。面白い人間だと思ったかた、是非、ご支援ください。