靖国参拝について思うこと からのいろいろ
2014年3月21日 10:45
娘が台北に行っていて、なんだか気になりあまり眠れず目がさめてしまった。水曜日に東京女子大の学生さんが来てEaphet 台灣東亞歴史資源交流協會で、学生さんたちの提案で「靖国神社参拝を考える」という討論会があり参加してきました。いろいろ思うこと、考えることがあり言葉にしておきたいと思いつつ、日にちがたってしまった。 靖国参拝 を考えた時、そこから色んなモノが見える気がする。 もちろんストレートに靖国神社に参拝する行為に対して感じることは、人により様々だからそれだけでもいろいろあるのだけど。今回、討論会に参加していたのは、韓国人、台湾人、日本人。 これはなかなかないよね。そこから見えるそれぞれの国の教育の問題。植民地として支配してた側、とされていた側。で、1番に思うのは、やはり 靖国神社 というものについてみんなよく知らないということ。私もそんなに詳しいわけではない。いつあれが出来て、どれくらいの人数が祀られ なんてそういう数字系覚える気がないからいっこうにきちんとはこたえられない。(笑)だけど、あの神社がどういう性質のもので、というのはわかる。戦犯が祀られていること、戦死者たくさん入っていること。戦時中、お国のために立派に戦死したら靖国神社に入れてもらえて神様になる。だからお国のために立派に戦ってね。というのは当たり前のように言われていた。でも今の若い人たち知らない人が多い。(私は戦後生まれよ)戦死したら神様になる。そんなわけないやん。戦争というのは悲惨でえげつなく殺されるのよ。もしくは殺す。そういう陰惨なものをごまかす手法だと 思うわけで 国の為に死ぬ、殺す。が、素晴らしい事、尊い事という事につながるじゃない。 その象徴だから嫌なのよ。あの神社。そんな事をもう少し詳しく話せばよかったかなと思いつつ。若い人にもっと話をしてもらいたくてやめたんだけど・・・。いやしゃべりすぎたかもしれん台湾の学生は、授業でそういうのは教えてもらわないから知らなかった。がほとんど。そして日本の学生も。 そうなのよ。それなのに靖国を参拝したことに中国や韓国が過剰に怒るのはなんだか変だ とかいう論調だけがネットからの影響により若者の頭に意識するしないにかかわらず残る。よくないなぁと思う。
討論会の中ででたけど、教科書問題。平和教育について 社会の授業について
自国の都合の悪い事は、教科書にのせない もしくは簡単に済ます。ひどいときは歴史の内容を書き換える 権力をにぎるものの思惑と連動していると思うわけで。そうなると教員の質というか、なんというか教科書にのっていないことをどれだけ生徒に伝えるか
なんだけど 昔は結構そういう先生いたかもしれない。でも今や公立の少中高では絶滅危惧種なのではないかとさえ思う。ちゃんとした先生はもちろんいるけど 宝くじに当たるくらいの確率だとしたら、それは伝わらない事のほうがはるかに多く、結局 体制はかわらないかんじになるような気がする。
平和教育について研究されている学生さんがいて、すこし話してはったけど、日本の平和教育は被害者としての教育(広島、長崎)が強く加害者としての話しは 少ないのが問題点というようなことだった。それは以前からずっと言われているが、あまり改善されていないのではないと思う。加害者としての日本がやったことを授業でやると自虐的歴史観を植え付けるとか、反日思想だとか わけのわからんことで圧力がかかったりする。
被害者側面、加害者側面 どちらも大事でどんなに戦争が悲惨かを伝えるのは大事だとおもうけど、もうひとつ私が足りないと思うのは、自分に置き換えて考えるというか、自分に引き寄せて考えさせる機会があまりにもすくないのではないかと思う。語り部の人や、戦争体験の人の話を読んだり伝える のだけでないもの。
まゆこが高校生の時、自由の森学園で公開授業を見学した。社会科「南京大虐殺について」その授業の中では、自分はそういう場に行ったら、このような残虐な事をするかどうか・・という問いかけに生徒が思うことを口々に発言していた。「えー絶対 無理無理無理。人を殺すなんてこわいもん」と言う子「でも、命令されて殺さないとお前を殺すと言われたらやるかもしれない」「こいつを殺さないと、仲間を全員殺すとかそういう風にやられたらどうするだろう・・」「それでも俺、無理~~」「私は女だから関係ないもん」「いや、女も女戦士で行っている国あるじゃん」「そうだよアメリカの女兵士がイラクの捕虜に残虐なことしてたぜ」と 思ったことを次々、話す生徒。ここの生徒は 正解とか不正解 とかない というもとで日々学びの場があるからか、飾らないし評価をきにしない言葉がぽんぽんでる。「普通の人が兵隊に行かされてこんなことするようになるのってこわいよね」など 聞いていて そう私もそうだと共感した。 ごく普通の人がひとたびそういう状況に追い込まれた時残虐な事をしてしまう。人間とはそういう怖さをもっている。だから怖いのだ。だから戦争というものが恐ろしいのだ。 もしかしたら、自分もそういう事をしてしまうかもしれない という恐怖。その危うさを知るのは大事だと思う。
平和教育に限らず一方的に知識を教えるというのではなく自分の頭で考え想像する経験という機会が今の若者にかぎらず日本全体を覆っているように思える。 なんだか靖国の事からいろんなことを考える機会になった。翌朝、通勤のバイクで走りながらもやもやと考えたことを まとまりないけど書いておいた。
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